小項目「ヒヨドリの挨拶」

星のヘアライン青中

  

「東京には冬が無いんだヨ」

 私は上京したての頃、よく家族や実家や古い友人たちに話をしていたものです。とはいえ、人生において東京での生活の方が長くなってしまった今、東京の寒さも十分堪えるようになってしまいました。それでも、小鳥が飛び交い、多くの種類の鳥の鳴き声が響く1月の青い空には今も戸惑いを覚えます。

  職場には、冬も、セキレイやメジロ、オナガやシジュウカラ、モズに何とキレンジャクなど、様々な野鳥が訪れます。

  
 
イラスト「柿とメジロ」



星のヘアライン青短
 




 ある冬の日の朝。私が出勤すると、どうやら一番乗りだったようで、ひんやりと冷たい空気が部屋に満ちていました。建物の北の角部屋で、窓際の私の席は冷蔵庫のようです。暖房を入れると、古い空調の動き出す大げさな音が聞こえてきました。雪国育ちの私は、こうした冬の朝独特の静謐な雰囲気にノスタルジーを感じます。複数のパソコンを起動しながら、ブラインドを開けると、予想外の生き物が間近にいて、驚きのあまり、ひゅ、と喉が鳴りました。窓の外、手の届くような距離。綺麗な、若いヒヨドリです。窓ガラスはマジックミラーのような特殊遮光ガラスで、外から部屋の中は見えません。ただ、ブナの木の枝に止まるヒヨドリは、目を逸らさず、まるでこちらを見つめているようでした。そもそも、ブラインドを開けた時点で、野鳥なら、音や様子の変化に気づいても良さそうなものです。窓を指でつつきます。それでも、ヒヨドリは飛び立つ気配を見せませんでした。

 私は数日前のことを思い出しました。



   星のヘアライン青短  
 





 その日、まもなく正午という時間帯、私は自分の席で、明日の出張講演の準備をしていました。突如、背後にドン、という音がして、その数秒後にまた衝突音。かなり大きな音でした。私は、経験から、この音の正体を瞬時に悟りました。鳥が遮光の窓に気づかず突進してきたのです。最初の衝突音が、窓にぶつかった音。二度目の衝突音は、十メートル近い高さから落下し、コンクリートの地面に落ちた音です。私は、嫌な予感が外れているように祈りながら、恐る恐る窓を開けました。「どうかありませんように」という願いは届かず、私が予想したモノは、ほぼ予想通りの状態で、眼下のコンクリートの上に、ありました。

 コンクリートの上で、不自然な姿勢でひっくり返ったヒヨドリです。同じ部屋にいた他のスタッフは、何が起ったか、気づかなかったようです。突然窓を開けて、うう、と唸る私の行動が奇異に映ったようで、怪訝な目をしてこちらを見ています。

 「窓にヒヨドリがぶつかった。見てくる」
一言だけ言って、私は部屋を出ました。


 私は慌てて階段を降りながら、苦々しい思いでいっぱいでした。鳥が落ちて動けない以上、無傷である可能性は大変低く、同様の事態で無事だった例を、残念ながら私は知りません。大変な勢いで窓にぶつかって、地面に叩きつけられたのです。多くの場合、首が折れてしまっていて、即死か、数日後に亡くなります。クチバシが頭にめり込んでしまっていたこともありました。近代的な建物の場合、こういう事故は多く、空を映す新築の高層ビルに、複数の渡り鳥が続けて激突した瞬間を、私は見たことがあります。

 この時私はいっそ、即死であってほしいと思っていました。酷いことを、と思われるでしょうが、首の折れた鳥のケアをするのは大変です。何日も世話をして、結局死んでしまったこともありました。就業中の自分の立場で出来ることは限られています。致命的な傷を負った野鳥を助けるには、私はあまりに無力です。

 私以外の誰も気づかなかったのなら、私も気づかなかったことに…と、思わないわけではありませんでした。ヒヨドリが増えてきて、メジロやシジュウカラは減りました。それも自然の出来事ですから、干渉はできません。それと同様に、そもそも野生の鳥ですから、生きるも死ぬも、あるべき状態にしておくのが良いのだという考えもあるでしょう…。

 足が止まりました。
…いやいや。あるべき状態で無いから、青空を映す窓ガラスに飛び込んでしまったわけで。悶々としながら、ふたたび歩き出し、落下地点に行くと、上から見た時と全く変わらない様子で、ひっくりかえったヒヨドリがいました。私が手を伸ばすと、かすかに身じろぎをし、こちらを見ました。生きてはいます。ただし、口を変に開けている状態で、一度開いた目をすぐに瞑ります。飛ぼうとする気配は全くありません。これはダメだな、と思いました。ただ、生きてはいましたので、車道からは、とりあえず救出しようとそっと両手で包んでみます。すると、私の右の指を右足で、左の指を左足で、かなりしっかり掴みました。その力に、あれ?もしかしたら何とかなるかもしれない、という思いがよぎり、改めて観察します。クチバシは見たところ歪んだりはしていませんが、口をかぱっと開けたままです。時々左の目は開けていますが、右目は瞑ったままです。右の翼を不自然に垂らしています。やや右側からぶつかったのでしょう。首が折れていないのは幸いでしたが、症状からは、絶望的に見えました。ただしこのヒヨドリには、今までに無い力強さがありました。


 私はまず、ヒヨドリを両手で包んだまま、施設の管理をしているところに行き、職員の方に報告しました。

「あのー…、ちょっとご相談が…」
「何持ってるんですか?ハトですか?」
「ヒヨドリです。窓にぶつかって落ちたんです」
「また?生きてるんですか?」
「まあ一応。一時保護するためのダンボールを用意していただいていいでしょうか?」

 職員の方は、素早く適当な箱にタオルをしいて、私に差し出してくれました。にも関わらず、中々ヒヨドリを箱に移さない私に、首を傾げます。

「どうしたの?この箱じゃダメ?」
「や…、そうじゃなくて、ヒヨドリが私の指を放さないんです…。両手を捕まれてて、私何も出来ないので、すみませんが、(ヒヨドリを)取ってくれませんか?」
「あ、はい」
「いてててててて!」

 ヒヨドリは、無理に引っ張れば足も取れるほどの根性で、私の指をしっかり掴んでいます。もしかすると、取れていいと思っているのは私の指の方だと考えているのかもしれません。元気じゃないか。ちくしょーと、思いながらも希望を感じました。

「すみません。ヒヨドリの指を直接一本一本剥がしてください」
「はい」
「いててててて!そっとお願いしまーす!」

 苦心惨憺、漸くヒヨドリはダンボールに。

「大変ですね。ごくろうさま。このハト、大丈夫?」
「ヒヨドリですね。首は折れていませんが、ご覧のとおり、様子は明らかに変です」
「どうするの?」
「それを私もお聞きしたいと…」
…沈黙。
「…専門家に聞いてみましょう」

 私は、その場で、近所の動物病院に電話をしました。正直、引き取ってもらいたかったのです。ただ、答えは予想通りでした。勿論診療はするけれど、病院では引き取ることは出来ないので、ケガが直ったら、リハビリして、野生に返してください。でも、数日間保護してしまうと、なかなか野生には戻れません。というものでした。結果、少し様子を見て、もし何とかなりそうなら病院に連れていく、ということにしました。こうした場合、急に弱って死んでしまうことがよくあります。治療費が発生した場合、保険の利かない動物はびっくりするような金額になることもあるので、そこは冷静に考えたいところです。結局ヒヨドリを入れたダンボールは、私の机の脇に置かれました。


 ぐったりとした、ヒヨドリ。
おまえ、私に出来ることなんてほとんど無い。がんばって、自分の力で乗り越えてくれ。
そのかぱっとあいた口を閉じて。荒い呼吸を整えて。だらりと垂らした翼を、持ち上げるんだよ。野鳥は飛べなきゃ生きてはいけない。こんな非日常的な状況で、目を閉じてちゃダメだ。目を開けて。


スタッフが変わるがわる覗き込み、カイロが装備され、意外にも指の力の強いヒヨドリのために、止まり木も設置されました。

「あ、ハト」
「ハトじゃないよ。ヒヨドリだよ」
「飛べないの?クルッポー」
「ヒヨドリだよ。飛べないんだ」
「どうするの?ハトの餌は?」
「ヒヨドリは肉食。要するに虫とかだよね。ちょっと難しいなあ」
「ボランティアさんが、野鳥用のバードケーキを作ってたよ」
「ああそうか。もらえるかな」
「私、そのボランティアさんを探してくるよ」
「ありがとう」


 多くのスタッフが心にかけてくれました。良い人たちです。ただし、何でしょうね。この、「その鳥の責任者はアナタ」的な雰囲気は…。私が知らず知らずのうちに、そういうオーラを出しているんでしょうか。自ら呼び込んでいるんでしょうか。優しい施設の方々も、優しい他セクションのスタッフも、優しいボランティアさんも、そのいわくつきヒヨドリ入りダンボールを受け取ってはくれませんでした。



 業務で席を外し、戻ってくると、一人のスタッフがヒヨドリのダンボールを覗いていました。
「このハト、ちょっと元気になりましたよ」
「ヒヨドリが!?」
見ると、確かにだらしなく開いたままだった口を閉じ、かわりに、瞑ったままだった目をあけていました。そして、その目に、何だか力があるように見えます。これは、もしかすると、助かるかもしれないと思いました。そうなれば、事態は急を要します。明るいうちに何もかもしなくては、手遅れになるかもしれません。私は、昼休みを返上して業務を行なうことを前提に、夕方、獣医さんに行くことにさせてもらいました。


   
 

 施設の職員の方の好意で、獣医さんまで車で送っていただきました。ヒヨドリを持ち込んだ獣医さんは、うちのウサギのかかりつけで、エキゾチックアニマルもちゃんと診ていただける信頼出来る獣医さんです。過去に、今回と全く同じ経緯でキジバトを持ち込んだことがあります。

「あ、こんにちは。お電話いただいた方ですね。ムクドリの」
「ハイ。ヒヨドリの」
…ヒヨドリって、そんなにマイナーな鳥ですか?結構主張が激しい鳥だと思ってたんですが。

 先生は、手当ての後、ヒヨドリをひっくり返したり、羽を広げさせたりしました。
「うーん。何で飛ぼうとしないのかな。お前、飛びなよ。飛ばなきゃ死んじゃうよ。」
先生はヒヨドリを手に乗せて、勢いよく上下させました。ヒヨドリはジェットコースター状態で目を丸くしています。思わず私は手を出してしまいそうになりました。ですが身の危険を感じたのだろうヒヨドリが…。

「あ、飛んだ」
ほんの1メートルですが、ヒヨドリが飛び上がりました。
「おお。よかった。この子ね。大丈夫なら、明るいうちに逃がしなさい」
「こんなんでちゃんと飛べますか?」
「今日がダメなら明日。ともかく暗くなってからじゃダメだよ。明るい時に放しなさい。野鳥の手当てはスピードだよ。3日世話したら、もう中々野生には戻せないから」

 ヒヨドリを抱えて、私たちは慌てて帰ります。ただ、ヒヨドリはまた私の抱える箱の中で、相変わらず震えています。本当に飛んでくれるのでしょうか。その日、陽の入りは、4時51分。(スタッフ誰に聞いても分単位できちんと答えます)その時の時刻は、既に4時15分。正直一刻を争う状態です。とはいえ、どこで放してもいいというわけでもないでしょう。できればもとの場所で放したかったのです。


 ぎりぎりセーフ。現場に到着し、私は箱を開けましたが、相変わらずヒヨドリは飛び立とうとしません。私は先生の真似をして、ヒヨドリジェットコースター。すると…。

 ヒヨドリは、まっすぐ飛んで行きました。ところがその方向は、激突した窓…。ちょっと慌ててその後を目で追うと、窓の手前のコナラの木の枝に止まりました。ほっと一息。



 おまえ、またぶつかったら、ほんと、もう知らないからね。



 私は職場に急いで戻り、心配してくれた方々に報告しました。こういう報告はいいものです。

「ハトは?」
「ヒヨドリね。元気になった。放したよ。仲間が迎えに来てたから、大丈夫だよ」
「え?お迎え?」
「うん。側で呼んでた。実は保護した時にも、側にいたんだ」
「良かったですねー」
「うん。ありがとう」

 
 …野生の鳥は、野生のままがいい。手を貸す、とか、助ける、なんて、欺瞞だし、助けたいと思うこと自体エゴかもしれません。でも、目の前に竦む小さな命があるなら、できるだけのことをしたい。


 今回と同じ状況で、再び飛び立つところまで見守ることが出来たのは、初めてのことでした。


 部屋に戻り、無意識に窓を見ると、夕陽をバックライトに、くっきりと浮かぶ富士山のシルエット。午前中に聞いた、やわらかな命が窓にぶつかって、コンクリートに落ちる悪夢のような音を思い出します。あの時、私の手の中の温もりは頼りなく、見ていてそれと分かる程に震えていました。同じ状況で看取った何羽もの鳥たちのことが、脳裏に過ぎり、絶望的なことしか考えられませんでした。あの、泡を吹いていた鳥が、ふたたび空に飛んでいった。その喜びを、私は漸く知ることができました。若いヒヨドリの生命力に、感謝。

 
 

 

…まあ、若くて未熟だったので、ぶつかったのでしょうが。

 
   星のヘアライン青短
 

さて、その5日後の朝。研究室の窓の前に延びたブナの枝に止まり、堂々としているヒヨドリをじっくり眺めながら、私はファンタジーなことを考えました。

「あなた、あの時のヒヨドリ?」

そんなはずはもちろんありません。でも、そうだったらいい、と願いました。こちらをじっと見ているヒヨドリ。若く、美しい翼。

よかった。無事だったんだね。

私はもう一度、とんとん、と、窓を指でつつきました。どこ吹く風。ヒヨドリは飛び立とうとせず…。私との距離は、1メートルもありません。野鳥って、こんなに図太いものでしたっけ。

挨拶に、来たんだね。


 ヒヨドリは、人がこれほど近くにいるにも関わらず、堂々と毛づくろいをしています。少し無粋ではあるけれど、そのヒヨドリがどこまで許してくれるか確かめようと、私が窓をそっと開けようとしたその時です。

「おはよーございます」

 部屋の扉がバタンと開きました。スタッフの出勤です。その音で、ヒヨドリは飛び立ちました。
「あれ?どうかしました?」
「ううん。なんでもない。おはようございます」
いつもの、一日の始まりです。

 …雪国の冬は厳しく、雪の苦労を、雪の無い地域の方は中々想像できないと思います。ただ、幼い日の雪の経験は暖かな思い出ばかりです。

東京の冬には、早朝のシミワタリも、氷柱の剣も、かまくらもありませんが、町に重く圧し掛かる、暗い雲もありません。冬の日の天は高く、どこまでも澄んでいます。

窓を開けると、抜けるような青い空。仰いでも、飛び立ったヒヨドリの姿を見つけることは出来ませんでしたが、誘うような高く響く声が、清浄な日差しに、甘くとけていきました。

 
写真「水浴び後のヒヨドリカップル」
     2010/2/1脱稿

星のヘアライン

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