※職人シリーズ2。ふざけた内容です。
星のヘアライン

写真 ちぐらと雪1

 久しぶりに巨匠の元を訪れた。

 東雲雪之介、76歳(うそうそ!)の彫刻職人だ。
以前、雑誌の特集で巨匠を取材したことをきっかけに、僕は時々こうして巨匠の作業場に寄るようになった。

巨匠は僕に気付き、一瞬だけ作業を止め、顔を上げた。

今君に頼まれているものはなかったと思うが…?
巨匠は、困ったような顔をして、探るように僕を見た。

いえ、近くまで来ましたので、先生のお顔を見に寄らせていただきました。
僕が言うと、巨匠は、安心したように頬を緩ませ、
何をばかなことを。こんな偏屈じいさんの顔なんか見て、何が面白いものかと照れくさそうにボソボソと呟く。

巨匠の作品には天衣無縫とも言える大胆さがあるが、本人はいたって謙虚で、シャイだった。

先生、今は何に取り掛かっておいでですかと僕が聞くと、
これだよ。と巨匠が指した先にあったのは…。
藁で丁寧に編まれた、精巧なちぐらだった。

ちぐらは専門外なので、詳しいことは分からないが、年代物であることは間違い無い。
(いや別に、うさぎショップでこないだ買ったんですけども!)

何ということだろう。ごくり、と自分の喉がなるのが分かった。

先生、大物ですね。
絞り出した声は掠れていた。
そうだね、わたしが入ることもできる。巨匠はそう言って、実際にちぐらに入って見せる。


写真 ちぐら職人2,3


これほどの大物に、挑むおつもりですか。

僕の声は震えていたかもしれない。
うん。そう。難しいね。そうだな。…しかし、わしがやらなければ、一体誰がやるんだね?
こんなばかなことを。

巨匠は、照れ臭そうに笑った。
…この人は、たった一人で、この大仕事に取り組もうとしているのだ。何でも無いことのように、誰も挑まない、大ちぐらに。

…僕は胸を何かに掴まれたような衝撃を受けた。

この人を見ていたい。
この人の作り出すものを。
そしてその工程を。
記者の勘が、巨匠に惹かれるのだ。


 それから僕は、何日も巨匠の作業場を訪ねた。声をかけないこともある。
…かけられないのだ。 あまりの巨匠の気迫に。



写真 ちぐら職人




 2週間ほど、僕は九州に取材があって忙しく、巨匠の作業場から遠ざかっていた。
漸く休日が取れたので、土産の焼酎を持って巨匠の元を訪ねた。

やあ。久しぶりだね。

僕は巨匠に、親しい人間にだけ見せる、子どものような笑顔で迎えられた。
気難しいと思われている巨匠は、一度懐に入ってしまった人間を、どこまでも許容するところがある。
その肩越しに広がる光景に、僕は言葉を失った。

 何ということだろう。 大ちぐらは、半分ほどの大きさになり、流線型にうねる縄がその周りにあしらわれている。先端は何筋もに別れ、部屋全体に細かい藁が配置され、そこにはまるで異次元のようなアート空間が広がっていた。

作品が完成間近であることは一目瞭然だった。これほどの大作を、僕は見たことがない。 もうすぐ終わりますね、先生。尊敬と感慨をこめて僕は言った。巨匠は、顔をあげ、不思議そうに僕を見た。美しい、純粋な瞳だった。
そして…。

ばかだね。終わりなんか、ありはしないさ。

と、巨匠は独り言のように呟いた。

そうだ。巨匠の行く手にゴールは無いのだ。目標は常に己の前にある。僕を見つめる巨匠の瞳は凪いだ湖面のように穏やかだった。

ふいに、巨匠は破顔して、ああ、この老いぼれがくたばるまではな。と豪快に笑った。

止めて下さい!縁起でもない!

僕が慌てて言っても、なあに。ちぐらが縄に還る、牧草フィーダーが板に還る、それと同じさと、まるで取り合わない。



作業に戻る巨匠の丸い背中を見守りながら、
長生きしてください、と、僕は祈った。






















うさねこイラスト 藁掃除をするなのナギ
2010/6/16脱稿

星のヘアライン

トップページに戻る  うさぎトップページに戻る