〜ストーリー:「或る夜の思い出」 後編 ナギ語り〜
「ダメだ!」 オレは根性で正気を手繰り寄せ、体内の血をアドレナリンで補って(つもり)叫んだ。 「違うフェムト、この子は悪くない!」 言うと同時に、オレは自分の身体をフェムトから引き剥がし、無理やり立ち上がると、フェムトの頭を殴りつけた。 「…じゃあ、誰が…」 剣呑に響くフェムトの声に、正直腹が立った。 「誰が悪いか言えっつーなら、お前だお前!」 フェムトは、訳が分からないと、眉を寄せている。 「あ、あの」 少年が漸く口を開く。 「フェムトが帰ってから、学校で結構騒ぎになっちゃったんだよ。僕、ちゃんと事情を話せなくて…。 「僕が皆に、ほんとのことを、ちゃんと言うから…」 …なんかこの子、オレに対する態度と、フェムトに対する態度が違わないか?フェムトがオレに向き直った。 「…で?何でナギがケガしてんだ?」 ま、当然の疑問だよな。 「僕のお父さんが…」 少年の言葉に、瞬間湯沸かし器のように、フェムトの周りに物騒なオーラが立った。 「お前落ち着け。ほんとに。 簡単に息が上がり、世界が回る。 「わ、分かったからナギ、ちょ、ちょっと座れよ」 血がついてるところ以外は全く血の気の無い顔で、ふらふらしながらまくし立てるオレを、フェムトがベンチに座らせ、背もたれに寄りかからせた。 「…フェムト、…その子は、オレの傷の、…止血のために、自分のタイを、差し出してくれた。 少年の涙声が聞こえた。頼む。フェムト。何か言ってやれ。 「…オレ、…何を間違えたんだ…?」 薄闇にフェムトの、途方にくれたような呟きが落ちた。 「フェムトは…悪くない。僕が悪いんだ…」 少年が震える声で言い募る。 「僕は、フェムトと…」 少年が言いよどむ。 オレの思いとは裏腹に、沈黙が続き、案の定フェムトが戸惑っているのが分かる。 …難しい。 「僕は、フェムトと、時々話がしたいんだ!」 …なんかちょっと中途半端だけど、まあよく言った。少年。 「…フェムトが、さっき、お兄さんを抱えて、すごく怒った顔して僕のことを見た。 よし!今度はいいぞ。これなら伝わるだろう。 川の音しか聞こえない夜の世界で、漸く聞こえたフェムトの声は、話の内容とは関係ないものだった。 ああ!?突然のフェムトの大声に、さすがのオレも咄嗟に目を開けた。瞬間、消えかける明るい流れ星が見えた。 「おっきい流れ星だ…」 少年の、呆けたような声が聞こえた。 「今のは火球だ。痕(こん)も残ってる」 フェムトが素っ気無く言い切った。少年のキョトンとした顔を見て、慌ててオレが説明を補足する。 「マイナス等級の流れ星を、火球ということもあるんだよ。 「あ、ほんとだ。何だか花火のあとみたい…」 少年の、素朴な感嘆の声に、胸が温かくなる。 「稀に、音がすることもあるんだぜ」 珍しくフェムトも口を挟み、少年が嬉しそうに、へえ、と反応した。 「…」 あれ?何の話をしてたっけ?随分緊迫していたような…。 「あー…、僕、フェムトが笑うとこも、初めて見たよ…」 少年の嬉しそうな声が、また目を瞑ったオレの耳に届いた。 「…そうか?」 フェムトの気の無い声、 「うん。もう、いいや。僕、帰る。流れ星、見られたし」 吹っ切れたような、明るい声だった。 「…話すくらいなら…」 フェムトがぼそりと呟いた。 「え?」 少年が立ち止まって振り返った。 「俺、あんまり集団で集まったりとか…、苦手なんだ。でも、話す、くらいなら…」 「うん!じゃ、明日、学校で!」 …明るい声だった。 |
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ケガをしたフェムトが帰ってきたことに始まった一連のごたごたが、やっと終わったのだという安堵感と、家族の体温が側にある安心感で、気が緩んだのだろう。 時間にすれば、たぶん2、3分。オレは夢を見た。 ああ、オレがしっかりしなくちゃ。 「だいじょうぶだよ。フェムト。これからお前はおうちで、なのの帰りを待つんだよ。 フェムトが、口を引き結んで、オレの手を痛いほどに握り締めた。 「ダメだ。フェムトはおばさんといなさい」 側にいた親父のバリトンが響いた。 「いいかい?フェムト。なののために、頼みがあるんだ。オレとお父さんはここでなのを見守るから、お前はうちで、やってほしいことがあるんだ。それは…」 …思い出した…。 |
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子守唄のようだった川の音を遮るように、携帯の着信音が響き、オレは現実に還った。 夜の河川敷はさすがに寒いけれど、右側が暖かいのは、フェムトにもたれているからだ。 おかしい。 こいつさっきまであんなに小さかったのにと思ってしまい、自分の思考の混乱に気づく。 …まだ頭が上手く回らない。 着信音は、オレのバックからだ。フェムトが、オレを気遣いながら、バックをあけ、音源を取り出すのが分かった。 「…ちがう。うん。俺」 フェムトの口調で、電話の相手がなのだと知れる。 「…うん。ナギと一緒。…うん。兄貴ケガしてるから、手当ての準備しといてくれ。…病院は駄目だ。きっと嫌がるから…。いや、俺じゃなくて、ナギが嫌がるって。…うん。…だと思う。ん?タクシー?うん。呼ぶよ」 遠慮の無さと、優しさを併せた、穏やかな口調。フェムトが、なのと話す時だけに使う、独特の声音だ。…本人は無意識だろう。 オレは何とか身体を起こそうと身じろぎした。フェムトがそれに気づき、こちらを向いた。 「…ナギ。大丈夫か?」 いたわる口調に既視感を覚えながら、オレは夢の続きを確認しようと、重い口を開いた。 フェムトは、唐突なオレの言葉に、驚いて絶句している。 「フェムト…。あの時…。おまえと、なのは5歳で、なのが大きな手術をすることになって…。 どうにもたどたどしい口調になってしまう。まだ頭が朦朧としているのだ。 「オレと、親父は、病院でなのを守るから、おまえは、家で、流れ星に、なのの無事を祈ってくれって…、オレ、お前に、言った…?」 幼いフェムトは、あの時、重要な任務を命じられた兵士のように、真剣な表情で、うん、と言った。 いくつながれぼし、見つければいい? フェムトは、思いつめたような顔をして指令を待つ。 3つ。 オレも真剣に答えた。その日は晴れていたし、ふたご座流星群の極大予想日だったから、子どもでも3つくらいなら、何とかなるだろうという思いもあった。しかし、フェムトは…、 「おれ、10こみつける。かならず。そうしたらなのはたすかる」 そう宣言した。 力のある、綺麗な目だった…。 「もしかして…あれからおまえ、ずっと、オレが言ったことを…?」 フェムトは、オレの顔を見て、右を見て、左を見て、口を開けて、また閉じて、もう一度オレの顔を見て、視線を泳がせた。 「……違う。ナギに言われたからじゃない。…ゲン担ぎだよ…。 言葉を切って、更に言い難そうに続ける。 「…なのに、何か、良くないことが起こりそうで…」 フェムトは怒ったようにそっぽを向いてしまった。 「まさか。…オレの弟はなんていい子だと思ってたんだよ」 フェムトが、心の底から嫌そうにため息まじりに呟いた。 「タクシー呼ぶぜ。立てるか?兄貴」 実際、大丈夫だった。 「あ、飛んだ。放射点近く」 フェムトの声に、目を開ける。ふたご座流星群らしい明かるい流れ星だった。 「極大過ぎてるのによく飛ぶな」 |
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…ひと気の無い河川敷。あたりに街灯はあるものの、それほどには気にならない。 身体が弱く、普通の社会生活が難しいなの。不器用で、誤解されやすいフェムト。 …何を捨ててもいい。 なのにしてもフェムトにしても、いつまでも庇護が必要な子どもではない。 それを心から嬉しいと思う。誇らしく思う。 目の端に、つ、と、星が流れた。 「…見たか?」 「大丈夫だよ。好きなだけいればいい」 …フェムトの、願いが、叶うように…。 それがオレから、大切な弟を奪うものであってもいい。 行きたいところへ行けばいい。 オレは一心にそう願い、透明度の高い空を見ていた。 すると、程なく。 「…ナギ、今の見たか?」 一瞬、あたりが明るくなるような流れ星だった。分裂し、二股に分かれ、なおも明るく輝いた。 「よし。じゃ、タクシー呼ぶぜ」 オレの返事を待たずに、フェムトは携帯のナンバーを押している。11個目の流れ星に、フェムトが何を願ったのかは分からない。でもそれはきっと叶うのだ。今日一番明るい流れ星が、オレにそう告げたように思えた。 …それからの記憶は、みっともないことに、少しぼんやりしている。 おまえの願いは叶うよ、と言った。 フェムトはちょっと眉を顰め、動作を一瞬止めて、睨むようにオレを見た。 ほんと、バカな兄貴だな。 フェムトがオレを奥に押し込みながら、ぽつりと呟いた。 タクシーの中で、オレは後部座席に横になった。気分は悪くなかったのだが、少し朦朧としている。
…自分のことはほったらかしで、弟や妹の幸せばかりを考えている、バカで無鉄砲な俺の兄貴が…。 自分の幸せをつかむってことだよ…。
でも、この夢込みで、この夜を、オレは一生忘れることは無いだろう…。 |
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気がついた時、オレの目の前にあったのは、医療用の曲がった針を持ってオレの顔を覗き込む最愛の妹の、可愛い、そして怖い顔だった。 結局確かにバカな兄弟は、そろって何より大事な妹を散々心配させて、悲しませて。 理事さんの張り手より、愛しい妹の泣き顔の方が、正直ずっとずっと痛かった。 今まであまり良い思い出のなかったふたご座流星群。 ひとつひとつ出来事をたどれば、今年だって散々な目にあった。 それでも…。 記憶は甘く、…優しい。 この夜の思い出は、フェムトがこの家を去って行った後、きっとオレを支えるだろう。 …フェムト。 また、一緒にふたご座流星群を見よう。 お前はきっとこれからも、なののために、10個の流れ星を探し続けるのだろう。 そして、11個目の流れ星に、お前の前途を祈ろう。
ふたご座流星群の流れ星が、お前の旅の行く手を、 いつも、いつまでも、 明るく照らし続けるように…。 |
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2010/2/07脱稿 |