小項目タイトル「或る夜の思い出」〜ナギ語り〜
〜ストーリー:「或る夜の思い出」 前編 ナギ語り〜

星のヘアライン

イラスト「土手を歩くナギの後ろ姿」  
 ナギ 18歳
フェムト 13歳
なの 13歳
  「昨日晴れてくれればよかったのに…」

 夕陽に染まる川沿いの土手。

 偶々オレの行く手、正面に陽が落ちたものだから、雲ひとつ無い、茜色の空を見ながら歩くことになり、つい文句のひとつも言いたくなる。

 冬至を間近に控えた12月15日。太陽は、真西よりかなり南よりに沈む。
ということは、あの辺りが真南で、あっちが真西かと、どうでもいいことを考える。

 昨夜は、なのと二人で夜更かしして、星を見ようと準備をしていたのだが、雲が厚くてあきらめたのだ。
がっかりしていることをオレに悟られないように、慌てて表情を作る妹の健気さが切なかった。

 …オレの妹は、息をしないで生まれたそうだ。それから何度も生と死の狭間に立って、
小さな身体で、ひとりで苦痛に耐え、長い時を病院で過ごしてきた。
なのの人生は、がまんすることと、諦めることの連続だっただろう。
最近漸く普通に近い生活が出来るようになったけれど、やはり今も、毎日「生きる」努力をしなくてはならない。

オレはなのがかわいそうでたまらない。
愛しくてたまらない。
どんなことだってしてあげたい。

 5歳と9歳の時、なのは命をかけた大手術をした。
偶然にも同じ日、12月14日だった。
だからオレにとって昨日は、なのが元気で側にいる幸せをかみしめる記念日だった。

一緒に星を見たかった。

…なのの喜ぶ顔が、見たかった。

 
 

アイキャッチ星マーク


 

 オレは苦々しい思いで空を見上げた。その拍子に足元がふらつく。

 部活動か何かの帰りだろうか、下を向いて正面から歩いてきた小学生が、反射的にオレの顔を見た。

「ひゃっ」

 小さく叫んで、慌てて道をあける。
うん。防衛本能が正しく作動ているね。いいぞ、未来を担う子どもたち。

オレの顔は、今左半分が腫れ上がっていて、左目も半分くらいしか開かない。
目の上の傷は、凄まじく血が出るから、血がだらだらたれてきて、視界が赤い。
ハロウィンでもないのに、こんな怖い顔の大人が歩いてきたら、人間だろうがうさぎねこだろうが、そりゃあ避けたほうがいい。

 ちょうど時刻はたそがれ時。
昼と夜、日常と非日常、ハレとケの空間が混ざり合い、物の怪の類が意外に近くにいるもんなんだ。
まあ物の怪より、血だらけでよたよた歩いている実体の方が、よほど実害があるかもしれないけどね。

 口の中も酷く切っているようで、随分血を飲んでしまっている。
先ほどからの吐き気はそれが原因だろう。
あるいは貧血か…。

 口の中にたまってくる血を、ぺ、と吐き出せば、どうやらぐらついていた歯が取れたらしく、血にまみれて地面に落ちた。オレは、思わず顔をしかめてしまい、しかめたことで、ピリ、と刺すような痛みが額に走り、こめかみの傷がまた開いたのだと知れる。
まるで出来の悪いコメディ映画だ。

「きゃー」

 今度は妙齢の女性がオレを指差して飛び退る。
…コメディ撤回。自分じゃ分からないが、どうやらオレの今の姿はホラーかサスペンスらしい。

 耳慣れた携帯の着信音がした。ディスプレイを見るまでもなく、妹からだと分かる。オレはため息をつき、携帯を取り出し、通話ボタンを押した。
そのまま、つい日常的な動作で腫れあがった左頬に携帯を当ててしまい、激痛に思わず息を詰め、携帯を落としてしまう。これはもう、オッチョコチョイとかの可愛いもんじゃなく、単に出血で思考力が低下しているのかもしれない。

 

アイキャッチ星マーク

 
「ナギ!お兄ちゃん!大丈夫!?どうかした!?」

心配そうななのの声が、落とした携帯から響く。意識的に右手で拾い、右の耳にあてる。

「大丈夫。ごめん。手が滑って携帯を落としただけだよ。フェムトはちゃんと家にいるか?」
「それが…」

やっぱりか。思わずため息をつく。何も悪くない妹の声が、耳元ですまなそうに響く。

「ごめんなさい。止められなくて」
「いや、ちがうよ。なののせいじゃない。あいつ、背中どうだった?」
「血の量のわりには傷は浅かったみたい。どうしても病院に行きたくないっていうから、消毒して、私、二針くらい縫ったんだけど…」
「何だって?」
「お父さんの道具入れに医療用の針と糸があったの。あ、一応針は火で炙ってから使ったから大丈夫よ」

…なののスゴイところはこういうところだ。
可愛い顔をして、ケガをして帰ってきた弟の傷を縫ったというのだ。

「ねえナギ。いったい、何がどうなっているの?誰がフェムトにケガをさせたの?」
「あー…、うん」
「もしかして、お父さん?」
「ち、ちがうよ。父さん今外国だし!」

自分で言っておいて何だけど、外国じゃなければその可能性があるのか?
そもそも、縫うほどの怪我をした息子のケンカ相手候補として、名前が挙がるって、どうなんだ親父。

「じゃあ誰が?一人じゃないわよね?上級生のグループとか?」

 ぎしぎしと軋みながら空回りするオレの思考と対照的に、明晰ななのの頭脳には淀みなく高速回転しているようだ。なのを心配させたくは無いけれど、聡明な妹をごまかすのは、オレの血だらけの頭では到底無理と判断し、オレは事実を話すことにした。

「…同級生たちとケンカしたらしいんだ。階段から落ちたとかで、相手のリーダー格の子が骨を折ったって、学校で大騒ぎになったんだよ。今オレ、その子の家に行ってきたとこ」
「その子の様態は?骨折って、どこの?」
「さあ…。でも家にはいたみたいだった。入院するほどじゃあないってことだな」
「…ナギ、親御さんは何て?怒ってらっしゃるの?」
「心配しなくていいよ。もう大丈夫だから」
「ほんと?」
「うん。許してくれるって。相手は複数だったようだしね」

なのの声がいぶかしげに潜められる。

「…ナギ、ほんとに大丈夫?何だか、様子が変だわ」

ぎく。
うちの妹はエスパーか。
今お前のお兄ちゃんは、様子が変どころか、スプラッタ映画の登場人物のようなご面相だ。
一番似合う小道具はチェーンソーだろう。

「…大丈夫だよ。それより、フェムトが帰ってきたら、今度は縛っておこう」
「ううん。私、薬を盛ろうと思うの」

ほら、力じゃ適わないから、と、平然と言う。
冗談では無い口調だった。たぶん冗談では無いのだろう。さすが弟の傷を縫ってやる女の子だ。

「ああ、そういや、帰ったらもういっちょ縫い物を頼むかもしれない」

うっかり、としか言いようが無いが、こめかみからの血が顎まで流れたことに気が行ってしまい、ついそんな言葉が口をついた。

「…どういう意味?」

なのの声が低くなった。

「や、ごめん。なんでもない。じゃ、もうすぐ帰るから」

 ちょっと強引にオレは電話を切った。ただでさえカンのいいなのにこれ以上追求されては堪らない。
動揺でこれ以上出血が増えたら、すれ違う人が引くだけじゃあなく、警察を呼ばれてしまうかもしれない。




イラスト「血まみれナギ」


 

 警察…。

 家庭訪問は、もちろんただではすまなかった。フェムトのケンカ相手は、学校の理事の息子で、そのセレブダディは、あまりの怒りに、警察を呼ぶとわめきたてた。
…何だか熱血教師ドラマで見たような場面だった。フェムトは理由もなく他人に暴力をふるうような奴じゃない。
それは分かってる。でも、ともかく謝るしか無かった。
だが、土下座しようが何しようが、所詮オレもハタチにもならないうさぎねこで、相手から見たら子どもの使いのように見えるのも仕方がない。

怒りが収まらない様子で、身体をふるわせて、フェムトを粗暴だ、不良だと責め立てた。
本当に警察を呼びそうだったし、学校でも問題にすると言っていた。
ちょっとしたきっかけで切れる糸のように見え、オレは、いっそそれを切ってしまおうとを考えた。

…言い訳だけど、事を収めるために、仕方が無かったのだ。

「弟が悪かったとしても、弟も大怪我をしてますから、つまり、息子さんも暴力を振るったわけですよね。理事さんの立場もまずいんじゃないですか?」

計算づくで、オレは父親の顔のすぐ前に指を突きつけた。反射的に、父親は、その指を、怒りに任せて払おうとした。…かかった。計算どおりだ。

 オレは、わずかに身を乗り出し、わざとに見えないように注意しつつ、彼の腕を自分の顔に当てた。
激しくオレは吹っ飛ばされ、柱の角に思い切り叩きつけられた。豪華な傘立てが派手に倒れ、凄まじい音がした。
身体の大きなパパさんは思いのほか力が強かったので、若干目測が狂ったものの、予定通り額が割れたことが分かった。激痛の根源を手で触れて、べったり濡れた感触から、結構な出血があることを確認し、ほっとする。

「きゃああー!」

セレブママの悲鳴が響いた。
オレは、血をぬぐいもせず立ちあがり、そのままもう一度頭を下げた。

「お怒りはごもっともです。私もまだ未成年ですので、父の不在中に、弟の不始末に対し、十分な責任を取ることが出来ず、申し訳なく思っております。弟にはよく言って聞かせますので、どうぞ、お許しいただけないでしょうか」

 オレは、「未成年」を強調しつつも、挑戦的と思われないよう、頭を下げたままちらりと様子を窺った。
さっきまで真っ赤だった理事さんの顔は、今や真っ青だった。
そりゃそうだろう。彼はもともと、オレの指を払おうとしただけだ。なのに、事態は一転。
理事の息子だけじゃあなく、理事自身が未成年に手を上げ、ケガをさせた事実が出来上がった。
立場は逆転している。
緊迫した空気のまま、結構な時間が経過したが、流れる血そのままに、オレは頭を上げなかった。
…誠意を見せたかったわけじゃない。父親の冷静な判断を待ったのだ。

「…もういい。おい。手当てを」

理事が奥方の方を見て言った。

「は、はい」

 オレは安堵に気が緩み、口の端が上がりそうになるのをかろうじて耐える。返事はしたものの、足を竦ませていた奥方が、漸くオレに駆け寄ろうとするのを手を上げて制し、オレは一歩下がった。

「いえ。大丈夫です。息子さんも、どうぞお大事に。失礼いたします。本当に申し訳ありませんでした」

有無を言わさず辞去を告げ、オレは玄関を出た。
…正直、一刻も早く立ち去りたかったのだ。


 息をつめたまま歩き、角を曲がり、ようやく理事の三階建ての豪邸が見えなくなってから、オレは立ち止まり、深い息をついた。

何とか、終わった。
オレは快哉を叫びたい気分だった。
緊張が解け、座り込みたかったが、一度座りこんだら暫くは立てないような気がして、膝を励まし、また歩き出す。

 …分かってる。こんなことを、フェムトは決して望まない。
だがフェムト。家族の愛っていうのは…、いや、愛そのものが、エゴイスティックなものなんだよ。

 

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 そもそも今回の一件の全貌を、実はオレは全く知らない。
フェムトが同級生に怪我をさせて逃げたと、そう学校から電話があっただけだ。
「逃げた」はずの弟は普通に帰ってきたが、背中に随分と深い傷を負っていた。フェムトに何があったか問い質しても何も言わないものだから、オレは事態を把握しないまま謝りに行かざるを得なかったのだ。

 …思春期になり、ただでさえ人との関わりが苦手な弟は、一層揉め事を引き起こすようになった。
しかしフェムトは本来ケンカっ早いわけではない。むしろ、いつも何とか他人と距離を置こうとしているように見える。
それでも何というか、本人が望んでいないことだとしても、フェムトはともかく目立つのだ。
フェムトの学年にも、何人かはいるそうだけれど、うさぎねこってだけでも十分目立つ。
頭はいいし、小さい頃から親父にスパルタで鍛えられているから、ケンカだってべらぼうに強い。
それに加え、フェムトの銀の毛並みは、通りかかる人の足を止めさせるほど目を引く。
…まあ、今のオレは、通りかかる人の足を止めさせるどころか、激しく後退させることが出来るけど。
…フェムトの周りで起こるトラブルのほとんどは、彼に寄せられる好意を、無神経に、しかも手厳しく撥ね付けてしまうことが原因だとオレは思っている。

 フェムトにも責任はある。
好意を拒絶されれば、それが反発に変わることもある。
誤解されても当然な乱暴な振る舞いや言葉遣いも、彼の周りを不穏にしている原因だ。孤高を保とうとするあまり、あいつは自らトラブルを招いているのだ。

…いかん。何だか腹がたってきた。

 顎から血が伝い、ぽたりと道に落ちた。
やっぱりこれは止血しないとどうもならん。
オレは川沿いの土手を河川敷の方へ降りた。
昼間であればキャッチボールをしている子どもたちもいる開けた場所だが、まもなく夜の帳も降りるという時間帯なので、人気は無い。
12月とは思えないほど暖かい日で幸いだった。川べりでも、震えることは無い。

 川の水をすくい、オレ乱暴に顔を洗った。
衛生的には問題がありそうだが、血だらけの顔で人ごみを通るのはちょっと憚られるので仕方が無い。
予期していたことではあるが、叫び出したいくらいしみる。川面がちょっと犯罪を思わせるほど血に染まった。
オレはハンカチで顔をぬぐって、そのまま患部を圧迫止血しながら、オレは、すっくと立ち上がった。

「さて」

聞こえるように、大きな声で言い、オレはくるりと振り向いた。

  

アイキャッチ星マーク

 
 

「結局フェムトが悪いんだ。なあ」

 オレの後ろにいた子どもが一人、うわあ、と叫んで尻餅をついた。驚く様子に溜飲を下げる。
悪いけどオレだってそんなにオトナじゃあ無いんだ。

 大立ち回りをしたあの家を出てから、子どもがずっと後をつけてきてることには初めから気付いていた。

「君、フェムトのケンカ相手だろ。いいの?家抜け出してきて」

逃げるきっかけを失ってか、育ちの良さそうな坊やは座り込んだまま、ふてくされたような顔をして、視線を泳がせている。

「君、理事さんの坊やでしょ。フェムトに骨を折られたっていう。で?君が折ったっていうのは、自転車のホイールとか、傘の骨とか、そういうこと?」

大きなケガをしているようには見えない。嫌味半分。安堵半分。

「何でついて来るの?まさか、オレが心配ってことは無いよな?フェムトへの仕返し?言っとくけど、今何かオレにすると、オレ、死んじゃうかも知れないよ?」

オレはケラケラ笑いながら言った。…その方が怖いだろう。

「…僕は骨を折ったなんて、一言も言ってない。周りが勝手に思い込んだだけだ」

少年が、ふてくされたように言った。

「ふうん。で、何の用でオレをストーカーしてんの?」
「…あんたと、お父さんのやり取りを見てた。あんた、わざと殴られただろう?」
「そりゃ心外。好んでこんな血まみれになる変態に見える?」
「…」
「で?オレに何の用?」
「…」
「…悪いけど、オレ、ケンカの理由も、フェムトのケガの経緯も知らないんだ。あいつは何も言わない。だから、オレが君に対して言えることは今何もない。でも、君がオレに何か話したいことがあるなら、聞いてもいいよ。それに、フェムトのケガの様子が知りたいなら教えてあげる。どうせ、もう少し暗くならないとオレ、この顔で町中を通れないから、ここで時間をつぶそうと思ってたところだし」

育ちの良さそうな少年は、精一杯大人びた表情を作って、オレを睨みつけている。いかにも「拗ねてます」という表情は、フェムトと同い年にしては幼く見える。

「…止血するから、手伝ってくれる?」

オレが手招きをすると、立ちすくんでいた男の子が、戸惑いながら近づいてきた。
…悪い子には見えない。

「オレのショルダーバッグの肩紐を外してくれるかい?包帯代わりにするから」

オレは川に向けて設置されたベンチに腰を降ろし、バッグを少年に渡した。
傷を押さえているので、両手が使えないのだ。

「…こんなんじゃダメだろ?」

薄汚れたバッグのベルトと、オレの顔を交互に見て、少年がぶっきらぼうに呟いた。

「他に包帯代わりになるもの無いんだよ」

すると少年は、躊躇せず、自分のネクタイを外し、オレに突きつけた。

「ありがとう。でも使えないよ。血できっとダメになっちゃうから」
「いいよ。やる」
「…でも、これを頭に巻くと、オレ、酔っ払いの親父みたいにならないかな?」
「いいから使えよ!だらだら血流して平気そうにしてて、気持ち悪いんだよあんた!」

少年は、ネクタイをオレに押しつけて、隣に座った。

 ハンカチを患部に当てた上から、きつめにネクタイで頭を縛っていると、5時半を知らせる微妙なメロディが遠くで聞こえた。
よく耳にしてはいたが、しっかり聴いたのは初めてかもしれない。ああ、ショパンの「別れ」だったのか。
どうやったらこんなに安っぽく出来るのだろうというアレンジを加えてある。
とはいえ、このチープな音の響きが、何となくノスタルジーを感じ、悪くないと、ふと思う。

 タイを頭に巻き終え、オレは、隣で膝を抱え、相変わらずふてくされたような顔をしている少年の顔を見た。
…普通の子だ。むしろ気の弱そうな。もちろんフェムトがこの年齢の子どもの標準じゃあないけれど。

「…話したいことがあるなら早くして。オレ、誘拐までは面倒見れないから」

これは本音だった。今日は随分暖かいとはいえ、12月だ。日が落ちると、辺りが暗くなるのは早い。
どう考えても、この子はオレと一緒にいちゃいけない。これ以上事態をややこしくしないために。

「…フェムト、どう?」
「ああ。二針縫ったって、妹が」
「?妹が、病院から電話してきたのか?」
「いや。縫ったのが妹ってこと」
「あんたの妹って、看護婦?」
「まさか。フェムトと双子だから、君と同い年。13歳だよ。身体が弱くて学校には行ってないけど」
「あいつ、双子なのか」
「うん。まあ、外見はそんなに似てないけどね」
「フェムトの双子だったら、傷口縫うくらいしそう…。それとも、うさぎねこって、みんなそうなのか?」
「や。うちは特別。親父が身体を鍛えることに一言持ってて、サバイバル訓練とか日常的だったんだ。まあ、だから、フェムトは大丈夫だよ。今どっかに行っちゃったらしいけど」
「…縫うようなケガをして、どこに行ったんだよ」
「さあ」
「…オレんちに、復讐に行ったんじゃないのか?」

少年が真剣な表情で声を潜めて言った。怯えたような響きが混じっていた。

「はあ?あいつ、そんな熱いタイプじゃないぜ?君だって知ってんだろ?」
「でも昨日…!」
「…なに?」
「何でもない」
「何だよ。言わないならとっとと帰れよ。オレは別にどうでもいいんだぜ?」

敢えて冷たく言い放つ。すると案の定、少年は訥々と喋り出した。

「…昨日の夜中、フェムトが…、オレの部屋を睨んでたんだ。…何時間も」
「…君、美人の妹とか、お姉さんとかと同じ部屋?」
「…僕ひとりっこだけど」
「そっか。じゃあ覗きってわけじゃあないのか」
「何だよ。冗談じゃないんだよ!」
「弟の意外な一面を知る時が来たのかと…。まあ、あいつが女の子追っかけ回すような性格なら、事態はずっとシンプルだよな。で、あいつ、具体的に、どこから君んちを見てたって?道から?」
「家の横の公園の木の枝に座ってたんだよ。ボクの部屋を睨んでた。すげー怖かったんだから」
「公園の木って、よく見えたな。結構距離があるだろ?」
「銀色の何かが見えたから、気になってフィールドスコープで見たんだよ」
「はあ…。そらまたご苦労さまで…。でも、君に何かしようとするにしては、ちょっと遠いんじゃない?」
「でも、こっちを見てたんだよ!」
「えーと…。…君んちって、公園から見て、南西だよな?君の部屋は三階?窓は?」
「窓?方角…?」
「ああ、つまり、今頃の季節、君の部屋の窓から、朝日は正面よりかなり右から昇るだろ?夏はほぼ真正面。違う?」
「う…うんそう言えば…」
「フェムトが窓を見てたっていう時間は?」
「夜中だよ!」
「もっと詳しく」
「…3時くらいにトイレに行こうとして気がついて、それから明け方まで、たぶんずっと」
「なら分かった。フェムトが見ていたのは、君んちの窓じゃないよ」
「え?」
「種明かしをしてあげたいけど、自分の目で見た方がいいと思うから、とりあえず、ええと、今6時半過ぎか、北東って、ええと、あの辺か。ああ、あのあたりを見てて」
「…電柱?」
「いや、空を。」
オレは、北東の空をぐるっと指で囲んで見せた。
「…いつまで?」
「オレがいいって言うまで」
「…オイこら」
「まあまあ。そんなに根詰めなくてもいいから、ぼんやりとあのあたりを眺める感じで。なあ君、それで、フェムトが自分に危害を加えると思ったから、今日ケンカになったってことか?」
「…」

話が核心に触れたせいか、少年はまたムスっと黙り込んだ。

「まあね。仲悪い同級生が、夜中に自分ちの近くにいたら、気持ち悪いよな」

気楽さを装い、オレは先を促した。

「…仲…、悪いわけじゃない」

この反応は、正直、ちょっと意外だった。

「へえ…?」
「違うんだ」
「何が?」
「僕はフェムトを嫌いじゃなかった」
「…ふうん」
「あいついつも一人でいるし、友達も作らない。どんな物にも興味がなさそうで、本ばかり読んでて…。何だか…、気になる感じだった」
「はあ。…で?」

ああ、これは王道のパターンかな?と思った。近づこうとして、拒絶されて、一気に最悪の関係になるという…。

「で、声をかけてあげて、僕の友達にも紹介して、なのに…」

…やっぱり。せっかく仲間に入れてあげようとしたのにってやつだ。

「フェムトは全く気にもとめないで…。僕らのことをバカにしてるみたいな態度をとるから、皆怒っちゃって…」
「…まあ、いじめとか集団の嫌がらせの始まりってのは、そんなもんだよな」
「いじめなんて、僕は…!」
「悪意の不在ってヤツか?せめて大将は、自分の罪を知るべきだと思うぜ?」
「僕は別に、けしかけたりなんかしなかった!…ボクの友達が勝手にフェムトに意地悪しだして…、どんどんエスカレートしていくもんだから、」
「君の取り巻きなんだろ?ボスの敵だから、子分も敵視したってことじゃないの?ああ、別にオレは君を責めてるわけじゃあ無いよ?君が話したいみたいだから聞いてるだけで」
「…僕はフェムトを…、ただ、何となく放っとけなかっただけだ」
「…アイツが素直に取り巻きに加わるようなタイプじゃないくらい、君、頭良さそうだから分かったんじゃないの?」

少年が唇をかんで、視線を落とした。俯く少年の顎を、オレは容赦なくぐいっと持ち上げる。

「いて!何すんだよ!痛いよ!」
「ちゃんと上見てろって言っただろ。ほら、星も出てきたし。ほら、オリオン座だぜ」
「どうでもいいよそんなの!」
「…あのさ。君はたぶん、最初の一歩を間違えたんだよ」
「何が」
「フェムトが一人ぼっちでかわいそうだから友達にしてあげようと思ったんじゃなくて、君がフェムトに近づきたかったんだ。違う?」
「そんなこと」
「無い?」

しばらく逡巡した上で、言葉を選びながら少年は話しだした。

「…わかんない。僕はただ、あいつが笑ったり、楽しそうにしたり、…何かに対して一生懸命になったり、そういうところが見たかったんだ…。本気で怒って、みっともなく怒鳴る姿を知りたかった。でもどんなにオレの仲間が挑発しても、あいつ、全く乗って来なかったんだ…」

 …罪だなあフェムト。オレはこの子に同情するよ。やっぱりお前が悪いんだ。
お前の固い殻の内側の、柔らかい部分に少しでも触れさせてやれば、きっとこの子は、満足したんじゃないのかな。

 なのとフェムトは、やっぱり双子だから良く似てる。
なのは可愛らしくて、優しげだけど、内側に光り輝くような強さを持っている。
何ものにも揺らがない、鍛えられた剣のような、鋭く美しい何かを。

フェムトはそれの対極で、振る舞いも言葉遣いも乱暴で、どう好意的に見たって外見はやさぐれてるけど、心の深いところに、誰より温かくて、純粋な何かを隠してる。
稀に、その存在に気づく人間がいて、何とかしてそれに触れたいと思ってしまうんだ。
それで、こうしてドツボに嵌る、というわけだ。

「あれ?じゃ、今日、取っ組み合いになって、念願かなったんじゃないの?」
「…取っ組み合いなんてしてない。それどころか…」

さあ、いよいよ本題だ。

「僕は、フェムトに、昨夜のことを聞こうと思ったんだ。でも僕の仲間が誤解して、先回りしてフェムトを問い詰めたんだよ…。校舎の外側の、非常階段で。フェムトはよくそれを使ってたから、休み時間に待ち伏せたんだ。」

しばし、少年が黙り込んだ。視線がまた落ちる。

「…ほら、空見て。それで?」
「フェムトは、言い訳しなかった。…何も。そして、僕の仲間がフェムトにつっかかっていって、胸倉を掴んだんだ。僕はそれを止めようと…、間に入ったんだけど…、非常階段で、…足場が悪くて、仲間の一人が足を滑らせたんだ」

少年は、小さくため息をついた。

「僕たちは、団子になって踊り場まで落ちて、勢いで、僕は柵から飛び出しちゃったんだ。それを、フェムトが…」
「…結局一緒に落ちたのか」

こくん、と少年が頷く。

「何階?」
「えっと、2階と3階の間」
「君、怪我は?足捻っただけ?」
「…あとはかすり傷」
「フェムトが下になったんだろ」

少年は黙り込んだ。

「そのくらいの高さから落ちたくらいじゃ、あいつの身体能力だったら、縫うようなケガをするはずがない。それにそもそも、あいつだけなら落ちたりしないだろ。フェムトは、君を、かばったんだ」

少年は、そう決め付けたオレの言葉を肯定も否定しなかった。睨むように空を見つめたままだったが、利発そうな大きな茶色い瞳が見る間に潤んでいった。つい可哀想になり、オレは慰める口調で続けた。

「…案外、あいつは君のことを気に入ってるのかもな」
「そんなはず無い!だって昨日…」
「…少年、空見てって」

こちらを見た瞬間、涙がこぼれたのを見ない振りして、オレは空を指した。

「…気に入ってるヤツの家を、夜中に睨んでたりしないだろ…」
「…」

 夜空を睨む少年の濡れた瞳を見ながら、オレはタイムアップが近いことを察した。あたりはもう既に闇に沈んでいる。そろそろほんとにこの子を家に帰さないと、捜索願いが出てしまうし、なにより、…かわいそうになってきた。

「…仕方ない。教えてあげるよ。あのさ、昨夜、フェムトが見てたのは、君の家じゃない。あいつは…」

オレが、言いかけた、その時だ。

「あー!!」

少年が叫んだ。

「あんだよ。びっくりするじゃないか」
「い、今、見た?流れ星!流れ星、僕、初めて見た!」

 ああよかった。どうにか間に合った。オレはほっと息をついた。何故ケガをしていない右目も、上手く開かなくなってきたので、オレは少年の言う流れ星を見てはいない。

 
  


 

「…つまり、フェムトが見てたのは、それだよ」
「え?」

「流れ星」

「流れ星を見ようとして、公園にいたってこと?」
「そう。木に登ったのは、たぶん街灯の上に行きたかったんだろう」
「何で?」
「街灯の上に登っちゃえば、眩しくないだろ?町中で星を見る基本は、町明かりが出来るだけ目にはいらないようにすることなんだよ」
「…でも、流れ星って、見ようと思って、見られるものなの?」
「現に君、オレが、見とけっていった場所で、ちゃんと今見ただろ?」
「…30分以上見させられたけどね」
「ははは。だってピークは昨日だし、まだふたご座昇ったばっかだし」
「…ふたご座?」

 
アイキャッチ星マーク
 

「ふたご座流星群だよ」
「ふたござ…りゅうせいぐん…?」

「空の一点から四方八方に流れ星が放射状に飛ぶことを、流星群っていうんだ。
その一点のことを、放射点っていって、流星群には、原則としてその点のある星座の名前を付けるルールがあるんだよ。中でもたくさん流れ星が見られるって有名なのが、ペルセウス座流星群、しぶんぎ座流星群、そして、…ふたご座流星群。
最も活動が活発になる時、つまり流れ星がいっぱい見られる時を、極大っていって、それが昨日だったんだ」


「…でも昨日、すごく曇ってなかった?」
「うん。オレも、家で、下の弟や妹が寝てから…。まだ小さいんだよ。
なのと…、フェムトの双子の妹と一緒に見ようと思ってたんだけど、あんだけ雲が厚いと、さすがに無理だろうってあきらめたんだ。でも、真夜中、ちょっとだけ雲が薄くなったんだよ。まあ正直、起きて空を見上げようってほどじゃあなかったんで、オレは寝ちゃったんだ。
でもフェムトは、家を抜け出して、寝ずに見てたんだな」


 「僕んちの方を見てたのは、たまたま?」
「んーと、そうでもない。
流星群ってのは、空全体を見渡すのが一番いいんだけど、やっぱり町中じゃ難しいし、放射点に近いところを見ていた方が、見られる確率は上がるんだ。
つまり、ふたご座のあたりを見ているのがいいってこと。
ほら、オレが見てろって言ったあたり、ふたつ明るい星が昇ってきただろ?」

「そんなに明るくないけど…」
「まあ、まだ地平線に近いからね。もっと昇ると、どんどん明るくなるよ。右の金色がカストル。左の銀、てか白いのがポルックス。双子の兄弟の星だよ」
「ああ、それで、ふたご座っていうのか」
「そう。放射点は、カストルの近くにあるんだよ」

少年が興味深そうに目を瞠る

 「夜中になれば、ふたご座は西の空高いところに見えるんだ。
…つまり、公園の木の枝からだと、君んちの方を見上げるってことになるってわけ。どうしてあの公園を選んだかってえと、まあ、妥当だったんだろうな。
天気が良けりゃあ、まだ遠出する気にもなるけど、あんだけ曇ってたら、望みは薄いし。
それなら家から近くて、あんまり寒くなくて、晴れ間を待つ間、街灯で本を読むことも出来る。
それに、あそこ、公園って名ばかりで、雑木林みたいだから、人目も無いし。まあ、お前さんは計算外だろ?」
「…なんだ…。そうだったのか…」

「ちっちゃいころからオレが星のことを教えるから、うちの弟や妹はみんな星を見るんだ。
でも、フェムトがはふたご座流星群に興味無いと思ってたから、ちょっとびっくりしたけどな」

「何で?」
「え…?」

 …何故だろう。自問自答する。確かに何故、オレはフェムトはふたご群を見ないと思い込んでいたんだろう…。実際ふたご座流星群をフェムトと見た記憶は一度も無い。何でだろう…。オレが物思いに沈むうちに、少年の興味は別のことに移ったようだった。

 「ねえ、家族仲いいの?フェムトと何だかイメージが合わないけど」
「…フェムトって、君の中でどんだけ特殊なイメージなんだか…。あいつ、弟や妹の面倒はちゃんと見るよ?親父とは壊滅的に仲悪いけど。ああ、そういう意味じゃあ、家族仲は微妙かなあ」
「あいつ、お父さんとうまくいってないの?」
「ははは。オレの一番の悩みを君に打ち明けることになるなんてなあ…」

 少年は、何故か少し嬉しそうな顔をしてこちらを見た。
視線の先のふたご座の星はいつのまにか明るさを増していた。
金と銀に輝くふたごの星を見ていると、…やはりオレは、何か大事なことを忘れているような気がしてきた…。

 …ふたご座流星群といえば、なのの手術だ。
過去2回行われた、なのの生死を分けるような大手術が、たまたま2回とも極大の日だった。
初めての時、あの子はたった5歳だった。なのは小さな身体で、懸命に戦った。
ふたご座流星群を思い出せば、どうしてもそのことが脳裏に蘇る。
あの時…、フェムトはどうしてたんだっけ…?フェムトだって、まだ幼かった。
オレも病院にいて、フェムトはひとり、家においていかれた。どんなに怖かったか、不安だったか。
自分の半身を失うかもしれない日、誰もいない家で…。トラウマになって当然の夜だっただろう。
朝になって家に帰ると、小さなフェムトが、目を真っ赤にしてオレを迎えた。
あどけない顔はむくみ、腫れた目蓋は一睡もしていないことを物語っていた。

思いに耽る俺の腕を、少年が小突いた。

「ねえおじさん」
「…オレまだ十代なんだけど、坊主」
「坊主って呼ぶな」
「おじさんて呼ぶな」
「…あんた、なんか、すごく顔色悪いけど、大丈夫か?」
「うん。ちょっと眩暈が…」

 言いながら、視界がぐるっと回った。
一瞬自分の身体が、どこか遠くに放り出されたような浮遊感を感じ、そして、その直後、ぐらりと世界が歪んだ。
ああ、これは、所謂失血による失神ってやつだと直感した。
座っているベンチから河川敷の草むらに落ちるまでの刹那、100通りもの悪い予想が頭を駆け巡る。
この側にいる少年は、意識を失ったオレに動揺し、家に相談して、その後は…。
どうしたって、せっかく収めた事態が再燃するのは止められない。まずいまずいまずい…。
遠ざかる意識の中、オレは、とりあえず地面に激突する衝撃を覚悟した。

少年の悲鳴が響く…。

 …衝撃は柔らかかった。そして、懐かしい感触。
…これは何だ?

うっすら目を開けると、自分が銀色の物体に抱えられていることが分かった。

ああ、フェムト。
迎えに来てくれたのか。

良かった。オレは安心して、もう一度目を閉じようとしたところで、違和感を感じた。

フェムトの、馴染んだ毛の気配が違う。ああ、これは、殺気だ。
…何で…?

ああ、そうか!
このシチュエーション。
血まみれで倒れるオレ。
側に、ずっとフェムトにちょっかい出してた少年。

怒りに震えるフェムトが、攻撃態勢を取るのが分かった。
竦みあがり、声も出ない少年。

ああ、ダメだダメだダメだダメだ!

 


→ 後編


 2010/4/16脱稿

星のヘアライン

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