小項目「番外 シノノメサカタザメに寄せて(コラム)」

管理人が、サイト開設に際して思っていたことを、コラムというよりはナーバスなポエムのように綴っています。
ちょっとイタイかもしれませんが、予めご了承ください。

星のヘアライン

   写真「シノノメサカタザメ」  
  

  シノノメサカタザメという魚がいる。サメ、という名前がついているが、分類上はエイ。ご面相はいかつく、ごつごつしていて、どちらかと言えば不細工である。マンタとジンベイザメを足したような風体で、どこの水族館にもいるという魚ではない。初めて実物を見たのはいつだっただろう。そんなに昔のことではなく…、すでに、心の中は「諦め」でいっぱいの、くたびれた「大人」になってからだった。

 シノノメサカタザメが、大水槽で、空を飛ぶように泳ぐ姿は、まるで巨大な宇宙船のように見えた。こんな神秘的な生き物がこの地球にいたのかと驚き、その僥倖は感動的ですらあった。

「ああ、逢えた」と、何となく思った。



 仕事で、「天才」と呼ばれる人たちに逢う。彼らは他人の評価に怯むこともなく、ゆらがない。実績に裏付けられたオーラは、目が眩むほどに美しい。本物の天才であればあるほど謙虚であることが多く、彼らの姿勢が低いから、自然自分の頭もより深く下がる。到底適わない。

 選ばれて在ることの恍惚と同時に不安もあるのだろう。自らを奮わすためにか、「俺が作ったものを理解出来ない奴が、ばかだ。そんな奴を相手にする必要は無い」と言い切る人も、中にはいる。その自信に圧倒され、いっそ爽快に感じる。彼らには周囲を納得させる天賦の才がある。何を言われても結果を出す実力がある。彼らは神に愛され、神からの「Gift」を受け取ったのだ。

 そうした天才たちに接する時、どうしようもなく自分が矮小な存在に思えてしまう。本物の天才に会ってしまえば、自分の立っている場所との距離が、途方も無く開いていることを否応無く気づかされる。しかも彼らはヘルメスの靴を持っていて、天を自由に駆け、高みから四方を俯瞰し、行く手に迷うこともない。ひきかえ自分は、這うように地を進み、ささやかな薮さえも、すり傷を付け、足掻きながら必死で抜けるのだ。差は必然的に加速度をつけ開いていく。

 当然自信も無く、自分が携わった番組や、書いたものに対する批判は刃となって、心の一番柔らかい部分を容赦なく抉る。10年前に、何気なく言われた一言でも、未だ癒えず、時に血を流す傷もある。到底「理解出来ない奴が」とは思えない。

 いっそ創ることを止めてしまえ。二度と書くまい。何一つ表現したくない。何度そう思ったか分からない。しかし、これしか自分には無いのだ。天才でなくても、些細なことに悩み、打ちひしがれ、泣きながら夜を明かしても、自分には、他の生き方は出来ないのだ。

 私は弱く小さい。けれど、その弱さゆえに、人の痛みが分かり、小ささゆえに、同じように萎縮する人の心を思いやることが出来るならば、それこそが、表現者としての私に与えられた「Gift」なのかもしれない。

つまらないことに拘る愚かな心を、自分が許さなくてどうする。傷だらけの身体を、自分が労わらなくてどうする。

天才が、神に与えられた金の筆で上等な用箋に書くのなら、天才でない自分は、路傍の枝を拾い地に書けばいい。自分が出来る方法で創るしかないじゃないか。


不恰好に、武骨に、それでも悠々と生きていけばいい。

シノノメサカタザメを想う。

空を往く巨大な飛行船のように、優雅に堂々と進む。ああ、あんな風に生きていきたいと願う。

顔を上げよう、前に進もう。



心にシノノメサカタザメを棲まわせて。
  
イラスト「なぎなのとシノノメサカタザメ」
 2009/9/01脱稿

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