そもそも「ギバチ」って、何のことかご存知の方、どのくらいいらっしゃるのでしょうね…。まず太鼓の達人は関係ありません。もちろん踊る大捜査線の、室井さんの俳優さんとも無関係です。ギバチとは、ナマズの仲間の、お魚のことです。 |
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かわいいでショ? ☆親指姫との出逢い 私とギバチ(以降ギバちゃんorギバ=愛称)の出会いは、1999年の春に遡ります。 ☆親指姫グレる。 ところが、水槽世界の平和は、親指姫によって崩されてしまったのです。朝になるたび、ヨシノボリの尾っぽが何だかぐさぐさになって行きます。ジュズカケハゼのお肌の調子が良くありません。一番お兄ちゃん(身体が大きいこと)のウグイは平気でしたが、ハヤにも異変が…。素人の群れは、漸く異変に気づき始めます。私たちの可愛い親指姫は、夜行性の肉食魚だったのです。朝には、「ごきげんよう」とおとなしくご挨拶をする親指姫は、夜の間ヤンキー娘に豹変していたのでした。 端から「姫」と言っていますが、ギバちゃんの男女の特定は単純な理由です。何年かの飼育生活の間に、ギバちゃんの水槽に、お仲間(お婿さん候補)が入れられたこともありました。ちょっと試してみたのですが、都会からやってきたお婿さんを、姫が殺しかけたので、これも慌てて離し、この結婚は破談になりました。お婿さんは命からがら実家に帰ってしまわれました。ただ、その時の行動から性別が(たぶん)特定できたことだけが、我々の得たものといってよかったでしょう。そして、死を覚悟でお婿に来てくれるギバチも他にいず、ギバちゃんは生涯独身が決定しました。 |
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☆ギバちゃんの食生活
ギバチは、本来活餌(いきえ)好きです。つまり、生きてるメダカやエビですね。飼育書などには、活餌しか食べないと書いてあるものもありました。ただし、我々のように、仕事の傍らで飼っている状況では活餌は管理が大変だし、心情的にもそこまで踏み込めない素人集団でした。そこで考案されたのが、ピンセット給餌法です。早い話、ピンセットで、ナマズ用のペレットを活餌に見立てて与えるだけですが。ギバちゃんの前でふらふらさせると、活餌と間違えているのか、付き合ってくれているだけなのか、とにもかくにも食べてくれます。大して良い管理でも無かったにも関わらず、ギバちゃんが長生きしてくれたのは、このおかげだと私は思っています。ギバちゃんはすくすく賢く元気に育ち、平均寿命の2〜3年も軽く超え、その頃には何と、私とK、そして、それ以外のスタッフを見分けるようになっていました。というか、声を「聞き分けて」いたように思います。私とK以外からの餌は、よほどのことが無い限り食べないという高等技術も身につけました。 ☆事故にあったギバちゃん 飼育してから3年ほど経ったころでしょうか。ギバちゃんは事故に遭いました。その頃、一般のお客さんにも見られる場所にギバちゃんはいました。元気のいい男の子が、土管の中で寝てばかりいるギバちゃんが泳ぐ様子を見たかったのでしょう。水槽を強く叩き、割ってしまったのです。現場に私はいませんでした。 他部署のスタッフが気づいた時、ギバは、ガラスまみれの床でびちびちと跳ねていたそうです。男の子のお父さんが見かねてギバを持ち上げ、どうしましょうとうろたえていたので、スタッフが慌ててバケツを用意し、ギバを入れ、上から水道水(!)を入れたそうです。その間およそ10分少々。 「ギバチにはトゲがあります。何ともありませんか?」 その夜。私は誰もいない真っ暗闇の施設の中で、ギバちゃんの水槽の前にひとり、長い間立っていました。 生きろギバ。 生きろ。 ギバはもちろん何も答えず、ただブルーグレーの丸い目でこちらを見ていました。 |
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☆ギバ最大の危機 もともと、ギバはペットですから、世話は、全ての業務が終了してからになります。真っ暗な、人気の無い施設にひとり残って世話をしていたことは、一度や二度ではありません。そこは信条で、ストイックに徹底していましたから、私にとって世話が負担になっていたことも事実です。可愛くなければ続けられません。とはいえ、所詮片手間ですから、淡水魚マニアの、メインの管理者の男性I、私、私の相棒K、三人で作業を分担し、ようやく業務に支障なく世話が出来ている、という状況だったと思います。 ところが、2003年、Iの異動が決まりました。会社員ですから異動は仕方がありません。元々餌や水槽の掃除は、私とK嬢がやっていましたが、やはり、彼に頼っていた部分は大きく、不安は否めませんでした。Iは、川に逃がそうかとも言いましたが、箱入り娘のギバに自然下で餌を摂ることがどうして出来るでしょう。私はKと相談し、飼い続けることを決めました。 そして、事件は起きました。Iの異動から、半年ほど経った頃ですから、因果関係は明確ではありません。3年以上生きたギバちゃんの体力の問題もあったでしょう。弱っているなと気づいてから、食事を摂らなくなり、ゆっくりゆっくり、ギバちゃんの様子は悪くなっていきました。異変に気づいてから何日か経ったころには、尾の方から色が薄くなっていき、その後の変化は劇的でした。ギバは尾から、真っ白になってしまったのです。8本のヒゲは一本一本腐って落ちていきました。ギバは、どんな餌も食べず、身体を水槽の底で横にすることが出来ないようで、次第に傾き、浮いてしまい、最後には縦になりました。この状態で、2週間以上が過ぎました。 |
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出来ることはしたつもりでしたが、やはり所詮素人です。私は専門店に行き、指示を乞いました。 「あのう。ギバチが白くなって、縦になっていて、餌を食べないんです。どうしたらいいでしょう」 この意味の無いやりとりを随分続けたあげく、店員さんから聞いたことは、もしギバチなら、とうに寿命を超えているので、あきらめなさいということでした。念のために聞き出した薬も、もう試し済みのものでした。Iに電話をしてみても、同様の答えが返ってきました。「寿命ですよ」と。 生き物を飼っていて大切だと思うことがふたつあります。飼い主は最後まで観察と試行錯誤を止めてはいけないということと、そして、矛盾するようですが、時がきたら、きちんと諦めること、その両方です。 私は、相棒Kを伴って、誰もいない暗闇の施設で、ギバの水槽の前に立ちました。ひとつの決心をしていました。ギバチにとって、初めての活餌です。私は、生きたメダカを二匹、ギバチの、薬まみれの水槽に入れました。ギバチが何もしなくても、メダカは生きていられないかもしれません。人間とは、生命の選択をする生き物だという苦い思いを胸に抱いて、私なりには大層思いつめての行動だったわけですが、当のギバは、目の前を泳ぐメダカに何の反応も返しませんした。 翌朝、私は始業前にギバの水槽を見に行きました。メダカが一匹、死んで浮いていました。申し訳ないことをしたと、手を合わせました。そして、もう一匹は…。驚いたことに、どこにもいませんでした。どこにも、いなかったのです。 「K!K!メダカがいない!一匹は死んでたけど、もう一匹いない!」 犠牲にしたメダカにはすまないけれど、私たちは、一縷の望みを手に入れたのです。 オキアミや、糸ミミズ、赤虫。メダカは二度と入れませんでしたが、何とか食べてもらおうと、色んな餌を試しました。ギバチの口元にピンセットで餌を持っていき、ギバが反応するまでひたすら待つというのは、結構な忍耐を伴う作業でした。それでも食べないことがほとんどでしたが、少しずつ、本当に少しずつ。ギバは餌を食べるようになっていきました。 ギバちゃんの食欲はしだいに戻ってきました。それに比例するように、体色が、本当に少しずつ元に戻っていくのが分かりました。 望外の喜びはまだありました。一本も無くなったと思ったヒゲが、半年ほどかけて、8本全て再生したのです。傷んだ鰭や尾も綺麗になりました。この危機を乗り越えてからのギバは、ぱつんぱつんで、色艶もよく、相変わらず私やKが呼べばドカンから顔を出しました。こんなに可愛く、美しいギバチはどこに行ってもお目にかかれないと、私が思いあがるまでになりました。 |
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☆別れ やがて、管理側に事件が起こりました。相棒のKが退職することになったのです。その時私たちが世話をしている魚は、ギバチだけではありませんでした。本業は忙しくなるばかりです。今度こそ自分ひとりにかかる負担の大きさに、私は正直憂鬱になっていました。引き際、という言葉が頭に浮かびました。しかし、これは杞憂になりました。今までも少し魚の世話を手伝ってくれていた男性スタッフYが、Kの不在を補おうとするかのように、力を貸してくれるようになったのです。Yは、Kに負けず劣らず、生き物が好きで、しっかりもので、責任感の強い青年です。ギバちゃんはあっけなく、私と、Kの手以外から、餌を食べるようになりました。 YとKの結婚報告を私が聞くのは、しばらく経ってからのことです。 2005年10月。あ、ギバ調子悪いかな。念のため、水に薬を入れようかな。そう思っていた矢先のことです。夜までかかったイベントが終わり、研究室に戻ろうとする私を、Yが呼び止めました。真剣な表情でした。 「ギバチが…」 前日まで餌を普通に食べていたギバは、体色も様子も大きな変化はなく、まるで今にも動き出すように見えました。私は何度もギバの呼吸を確かめました。 でも、どんなに待っても、ふたたびギバが泳ぎ出すことはありませんでした。 私はギバを、その日のうちに施設の裏の大きな山椒の下に埋めることにしました。既に夜の8時半を回り、大きなイベントが終わったばかりで、スタッフはみんな疲れ果てていました。でも、気がつけばギバの埋葬に、何人ものスタッフがついて来ていました。ギバが多くの人に愛されていたことに、改めて気づきました。 その時ギバの体長は40cm近く…。一番太いところは、私の手首ほどもあったので、埋めるには大きな穴を掘る必要がありました。山椒のトゲで引っかき傷を作り、秋のしつこい薮蚊を払い、暗い夜の藪の中、文句も言わず穴を掘り続けるスタッフたちに、私はこっそり頭を下げました。 …見上げれば、にじむ視界、天頂近くに、白い星がひとつ、ぽつんと輝いていました。夏の夜の女王ベガです。となれば、その側には、天の川が流れているはず。町中からは全く見えないけれど…。冴え冴えと輝くベガが、ギバをその大河の流れに導いてくれることを祈りました。 |
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ギバちゃん。 今までありがとう。 「今は死なないで。もう少しだけ生きて」 私の我侭な願いを何度も聞いてくれてありがとう。 もういいよ、とはいつまでも思えなかっただろうけれど、 それでも、十分がんばって生きてくれたという思いを私に残してくれた。 平均体長の倍近くになって、寿命の3倍生きて…。 本当に逝く時は、衰える姿を見せず、祈る間もなく、 誰もいない時にひっそり息を引き取った。 その潔さが残念でもあり、…感謝もしてる。 心から、ありがとう。 ギバちゃんは、星の仕事をしている私たちが7年間愛情を込めて世話をした魚でしたから、今はきっと天の川を悠々と泳いでいることでしょう。 たかが魚。 ギバちゃんは、ギバちゃんを好きな人からしか餌を食べなかった変な魚でした。 生き物はみんな特別な存在です。 |
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