小項目「ギバチと人間に心の交流はあるか」

星のヘアライン

  

 そもそも「ギバチ」って、何のことかご存知の方、どのくらいいらっしゃるのでしょうね…。まず太鼓の達人は関係ありません。もちろん踊る大捜査線の、室井さんの俳優さんとも無関係です。ギバチとは、ナマズの仲間の、お魚のことです。

  
   写真「生後2年ほどのギバ」  

 かわいいでショ?
かわいくなってくるんです。世話をしているうちに。

☆親指姫との出逢い

 私とギバチ(以降ギバちゃんorギバ=愛称)の出会いは、1999年の春に遡ります。
私が働く施設に持ち込まれたギバちゃんの大きさは、ものの数センチ。ちょうど親指くらいの大きさでした。この親指姫は、肌色と小豆色のまだら模様で、ナマズというよりは、トラザメの稚魚に似ていました。(大きくなると、模様が無くなり、上の写真のような所謂ナマズ色になります)いっちょまえに8本のヒゲが生えているのが可愛く、ともかくちっちゃかったので、しばらくは、他の淡水魚と同じ60cmの水槽で混泳させることにしました。
 この水槽は、もともと淡水魚マニアのスタッフの男性Iが管理し、私と、同僚の女性Kが、餌やりなどのお手伝いをしていました。職場のペットであり、まあ、お客さんのいるところに水槽がありましたので、展示物であったと言えます。同居していたのは、アブラハヤ、ウグイ、ヨシノボリ、ジュズカケハゼ、ヌマエビ、石巻貝、というところでした。素人の浅はかさ満載です。今にして思うと噴飯物ではありますが、当時、大きさ的には(というか素人的には)決して無理な混泳には見えなかったのです。水槽は、バランスの良い、美しい眺めに仕上がりました。

☆親指姫グレる。

 ところが、水槽世界の平和は、親指姫によって崩されてしまったのです。朝になるたび、ヨシノボリの尾っぽが何だかぐさぐさになって行きます。ジュズカケハゼのお肌の調子が良くありません。一番お兄ちゃん(身体が大きいこと)のウグイは平気でしたが、ハヤにも異変が…。素人の群れは、漸く異変に気づき始めます。私たちの可愛い親指姫は、夜行性の肉食魚だったのです。朝には、「ごきげんよう」とおとなしくご挨拶をする親指姫は、夜の間ヤンキー娘に豹変していたのでした。
 他の中高生…、違った。昼行性の魚たちは、不良娘にオラオラと脅され、すっかり睡眠不足のフラフラ状態になっていました。慌てて水槽を分けた素人の僕たち。ごめんよ。中高生の魚たち。

 端から「姫」と言っていますが、ギバちゃんの男女の特定は単純な理由です。何年かの飼育生活の間に、ギバちゃんの水槽に、お仲間(お婿さん候補)が入れられたこともありました。ちょっと試してみたのですが、都会からやってきたお婿さんを、姫が殺しかけたので、これも慌てて離し、この結婚は破談になりました。お婿さんは命からがら実家に帰ってしまわれました。ただ、その時の行動から性別が(たぶん)特定できたことだけが、我々の得たものといってよかったでしょう。そして、死を覚悟でお婿に来てくれるギバチも他にいず、ギバちゃんは生涯独身が決定しました。


 

  ☆ギバちゃんの食生活

 ギバチは、本来活餌(いきえ)好きです。つまり、生きてるメダカやエビですね。飼育書などには、活餌しか食べないと書いてあるものもありました。ただし、我々のように、仕事の傍らで飼っている状況では活餌は管理が大変だし、心情的にもそこまで踏み込めない素人集団でした。そこで考案されたのが、ピンセット給餌法です。早い話、ピンセットで、ナマズ用のペレットを活餌に見立てて与えるだけですが。ギバちゃんの前でふらふらさせると、活餌と間違えているのか、付き合ってくれているだけなのか、とにもかくにも食べてくれます。大して良い管理でも無かったにも関わらず、ギバちゃんが長生きしてくれたのは、このおかげだと私は思っています。ギバちゃんはすくすく賢く元気に育ち、平均寿命の2〜3年も軽く超え、その頃には何と、私とK、そして、それ以外のスタッフを見分けるようになっていました。というか、声を「聞き分けて」いたように思います。私とK以外からの餌は、よほどのことが無い限り食べないという高等技術も身につけました。



☆事故にあったギバちゃん

 飼育してから3年ほど経ったころでしょうか。ギバちゃんは事故に遭いました。その頃、一般のお客さんにも見られる場所にギバちゃんはいました。元気のいい男の子が、土管の中で寝てばかりいるギバちゃんが泳ぐ様子を見たかったのでしょう。水槽を強く叩き、割ってしまったのです。現場に私はいませんでした。

他部署のスタッフが気づいた時、ギバは、ガラスまみれの床でびちびちと跳ねていたそうです。男の子のお父さんが見かねてギバを持ち上げ、どうしましょうとうろたえていたので、スタッフが慌ててバケツを用意し、ギバを入れ、上から水道水(!)を入れたそうです。その間およそ10分少々。
 駆けつけてこの話を聞いた私は、一気に血の気が引きました。デリケートなギバに、この仕打ちが耐えられるとは思えませんでした。側には立ちすくむ親子。やさしい他部署のスタッフの一人が、男の子とお父さんに、「大丈夫ですから気にしないでください」と言いました。正直に言うと、この時、親子をいたわるスタッフの物言いに、瞬間的に、私は理不尽な苛立ちを感じました。「ギバの世話をしたことも無いのに、大丈夫なんて、どうして言えるのか」と。勿論これは八つ当たりです。ただ、お父さんは、「いいえ。この子は自分のしたことの結果を最後まで見る必要があります」と、決してその場を立ち去りませんでした。その言葉に、漸く、私も冷静になりました。男の子がショックを受けていることにも気がつきました。私が駆けつける前から一生懸命その場をとりなそうとしてくれていた他部署のスタッフの心遣いにも…。私は心の中で、自分の不当な憤りを恥じながら、ようやく、お父さんに話しかけることが出来ました。

 「ギバチにはトゲがあります。何ともありませんか?」
「自分は大丈夫です。すみませんでした」
 お父さんの誠意のある態度を見て、私の中にあったささくれた思いは、完全に凪いでいきました。

 その夜。私は誰もいない真っ暗闇の施設の中で、ギバちゃんの水槽の前にひとり、長い間立っていました。


生きろギバ。
あの親子がもう一度ここに来た時、元気で泳ぐお前の姿を見せてやってくれ。

生きろ。


ギバはもちろん何も答えず、ただブルーグレーの丸い目でこちらを見ていました。

 それから1週間ほど、ギバちゃんは餌を食べず、様子も常態ではありませんでした。死ぬかもしれないなと、何度か思いました。しかし、ギバちゃんは、この危機を乗り越えてくれました。

 

 

 
 
☆ギバ最大の危機

 もともと、ギバはペットですから、世話は、全ての業務が終了してからになります。真っ暗な、人気の無い施設にひとり残って世話をしていたことは、一度や二度ではありません。そこは信条で、ストイックに徹底していましたから、私にとって世話が負担になっていたことも事実です。可愛くなければ続けられません。とはいえ、所詮片手間ですから、淡水魚マニアの、メインの管理者の男性I、私、私の相棒K、三人で作業を分担し、ようやく業務に支障なく世話が出来ている、という状況だったと思います。

 ところが、2003年、Iの異動が決まりました。会社員ですから異動は仕方がありません。元々餌や水槽の掃除は、私とK嬢がやっていましたが、やはり、彼に頼っていた部分は大きく、不安は否めませんでした。Iは、川に逃がそうかとも言いましたが、箱入り娘のギバに自然下で餌を摂ることがどうして出来るでしょう。私はKと相談し、飼い続けることを決めました。

 そして、事件は起きました。Iの異動から、半年ほど経った頃ですから、因果関係は明確ではありません。3年以上生きたギバちゃんの体力の問題もあったでしょう。弱っているなと気づいてから、食事を摂らなくなり、ゆっくりゆっくり、ギバちゃんの様子は悪くなっていきました。異変に気づいてから何日か経ったころには、尾の方から色が薄くなっていき、その後の変化は劇的でした。ギバは尾から、真っ白になってしまったのです。8本のヒゲは一本一本腐って落ちていきました。ギバは、どんな餌も食べず、身体を水槽の底で横にすることが出来ないようで、次第に傾き、浮いてしまい、最後には縦になりました。この状態で、2週間以上が過ぎました。

 
 

 出来ることはしたつもりでしたが、やはり所詮素人です。私は専門店に行き、指示を乞いました。

「あのう。ギバチが白くなって、縦になっていて、餌を食べないんです。どうしたらいいでしょう」
聞き方が悪かったのか、私があまりにもバカっぽかったのか、店のスタッフは子どもに言い聞かすように私に接します。
「そうですか。ギバチちゃんはいくつですか?」
「私が飼育してから、4年ほどです」
「あははは。それはギバチじゃないですよ。ギバチはそんなに生きません。ナマズでしょ?」
「ナマズじゃないです。ヒゲの数が違います。間違えようがありません」
「大きさはどれくらいですか?」
「30センチくらいです」
「あははは。やっぱりギバチじゃないですよ。ギバチはそんなに大きくなりません。ギギでしょ」
「ギバチです。稚魚の頃から飼ってるんです」
「まさかあ」
「(何がまさかなのか分かりませんけど)ギギでも別にいいです。で、どうしたらいいんでしょう?」
「…ナマズでしょ?」

この意味の無いやりとりを随分続けたあげく、店員さんから聞いたことは、もしギバチなら、とうに寿命を超えているので、あきらめなさいということでした。念のために聞き出した薬も、もう試し済みのものでした。Iに電話をしてみても、同様の答えが返ってきました。「寿命ですよ」と。


 生き物を飼っていて大切だと思うことがふたつあります。飼い主は最後まで観察と試行錯誤を止めてはいけないということと、そして、矛盾するようですが、時がきたら、きちんと諦めること、その両方です。

 私は、相棒Kを伴って、誰もいない暗闇の施設で、ギバの水槽の前に立ちました。ひとつの決心をしていました。ギバチにとって、初めての活餌です。私は、生きたメダカを二匹、ギバチの、薬まみれの水槽に入れました。ギバチが何もしなくても、メダカは生きていられないかもしれません。人間とは、生命の選択をする生き物だという苦い思いを胸に抱いて、私なりには大層思いつめての行動だったわけですが、当のギバは、目の前を泳ぐメダカに何の反応も返しませんした。


 翌朝、私は始業前にギバの水槽を見に行きました。メダカが一匹、死んで浮いていました。申し訳ないことをしたと、手を合わせました。そして、もう一匹は…。驚いたことに、どこにもいませんでした。どこにも、いなかったのです。

「K!K!メダカがいない!一匹は死んでたけど、もう一匹いない!」
「ええ!?まさか!」
「どこにもいないよ!」
「よく探したんですか?」
「探した!でもいない。いないよ!」
「そうですか!良かったですね!奇跡ですね!」
このふたりは朝から何故メダカがいないとはしゃいでいるのか…。何か良からぬ神秘的な実験でもしたのではないかと、周りが変な目で見ていました。

 犠牲にしたメダカにはすまないけれど、私たちは、一縷の望みを手に入れたのです。

 オキアミや、糸ミミズ、赤虫。メダカは二度と入れませんでしたが、何とか食べてもらおうと、色んな餌を試しました。ギバチの口元にピンセットで餌を持っていき、ギバが反応するまでひたすら待つというのは、結構な忍耐を伴う作業でした。それでも食べないことがほとんどでしたが、少しずつ、本当に少しずつ。ギバは餌を食べるようになっていきました。

 ギバちゃんの食欲はしだいに戻ってきました。それに比例するように、体色が、本当に少しずつ元に戻っていくのが分かりました。
 白い繭のようになって、3週間以上の絶食をして、ヒゲは全て腐って落ち、鰭も尾も真っ白くなって、ぐさぐさになっていたギバ。魚があの状態から復活するなんて、思ってもいませんでした。持ちこたえてくれた。そう思いました。

 望外の喜びはまだありました。一本も無くなったと思ったヒゲが、半年ほどかけて、8本全て再生したのです。傷んだ鰭や尾も綺麗になりました。この危機を乗り越えてからのギバは、ぱつんぱつんで、色艶もよく、相変わらず私やKが呼べばドカンから顔を出しました。こんなに可愛く、美しいギバチはどこに行ってもお目にかかれないと、私が思いあがるまでになりました。


 
写真「ギバ口開けて、おなかすいたー」   
   


☆別れ

 やがて、管理側に事件が起こりました。相棒のKが退職することになったのです。その時私たちが世話をしている魚は、ギバチだけではありませんでした。本業は忙しくなるばかりです。今度こそ自分ひとりにかかる負担の大きさに、私は正直憂鬱になっていました。引き際、という言葉が頭に浮かびました。しかし、これは杞憂になりました。今までも少し魚の世話を手伝ってくれていた男性スタッフYが、Kの不在を補おうとするかのように、力を貸してくれるようになったのです。Yは、Kに負けず劣らず、生き物が好きで、しっかりもので、責任感の強い青年です。ギバちゃんはあっけなく、私と、Kの手以外から、餌を食べるようになりました。

YとKの結婚報告を私が聞くのは、しばらく経ってからのことです。

 2005年10月。あ、ギバ調子悪いかな。念のため、水に薬を入れようかな。そう思っていた矢先のことです。夜までかかったイベントが終わり、研究室に戻ろうとする私を、Yが呼び止めました。真剣な表情でした。

「ギバチが…」
不思議なものです。この一言だけで、何が起こったかを私は悟りました。ギバは既に息絶えていました。あっという間のことでした。

 前日まで餌を普通に食べていたギバは、体色も様子も大きな変化はなく、まるで今にも動き出すように見えました。私は何度もギバの呼吸を確かめました。

でも、どんなに待っても、ふたたびギバが泳ぎ出すことはありませんでした。

 私はギバを、その日のうちに施設の裏の大きな山椒の下に埋めることにしました。既に夜の8時半を回り、大きなイベントが終わったばかりで、スタッフはみんな疲れ果てていました。でも、気がつけばギバの埋葬に、何人ものスタッフがついて来ていました。ギバが多くの人に愛されていたことに、改めて気づきました。

 その時ギバの体長は40cm近く…。一番太いところは、私の手首ほどもあったので、埋めるには大きな穴を掘る必要がありました。山椒のトゲで引っかき傷を作り、秋のしつこい薮蚊を払い、暗い夜の藪の中、文句も言わず穴を掘り続けるスタッフたちに、私はこっそり頭を下げました。

 …見上げれば、にじむ視界、天頂近くに、白い星がひとつ、ぽつんと輝いていました。夏の夜の女王ベガです。となれば、その側には、天の川が流れているはず。町中からは全く見えないけれど…。冴え冴えと輝くベガが、ギバをその大河の流れに導いてくれることを祈りました。

 
 

 ギバちゃん。

今までありがとう。
「今は死なないで。もう少しだけ生きて」
私の我侭な願いを何度も聞いてくれてありがとう。
もういいよ、とはいつまでも思えなかっただろうけれど、
それでも、十分がんばって生きてくれたという思いを私に残してくれた。
平均体長の倍近くになって、寿命の3倍生きて…。
本当に逝く時は、衰える姿を見せず、祈る間もなく、
誰もいない時にひっそり息を引き取った。
その潔さが残念でもあり、…感謝もしてる。

心から、ありがとう。

ギバちゃんは、星の仕事をしている私たちが7年間愛情を込めて世話をした魚でしたから、今はきっと天の川を悠々と泳いでいることでしょう。

たかが魚。
されど魚。

ギバちゃんは、ギバちゃんを好きな人からしか餌を食べなかった変な魚でした。

生き物はみんな特別な存在です。



 
   写真「ギバ遺影」  

星のヘアライン

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