「あのー。アカウミガメとアオウミガメって、外見的に、どこが違うんですか?」 10年程前のことです。仕事でアカウミガメのキャラクターを描いた時、アカウミガメとアオウミガメの外見的な差が渡された何枚かの写真では理解出来ず、その番組のディレクターに相談したことがあります。当時、インターネットも今ほど普及していなかったのです。 Dの返事はクールでした。 「あのですね。別に動物の生態の番組じゃないわけですね。だからね。細かいとこに拘らないで、早く描いてくださいね」 「でもね。アカウミのつもりで描いて、バカだなー、顔の形が違うよ。それじゃアオウミだよ、と言われたら恥ずかしいじゃないですか」 「恥ずかしくないです。まさかアナタ、リアルウミガメ描く気じゃないでしょうね?ダメですよ」 「(やっぱダメか)そりゃそうなんですけどね。私ほら、別にプロのイラストレーターじゃないし、ディティールが分らないと、デフォルメ出来ないんですよ」 「…あのですね。そもそも、例えばヒゲの数だとか、しわの数だとか、爪の形だとか、甲羅の枚数だとか、そういうことが分ったとしても、そんな細かい絵を描かれても使えないわけですよ」 「その通りです。分かってます。ただ、こう、気構えというか…」 「あのですね!今日何日?で、納品が何日?あなたの仕事は何?」 「…描きます」 「あのですね」のニュアンスが次第に変わっていくのに耐えられず、止むを得ず見切りで作りました。 |
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運の良いことに、誰からも、「アカウミガメに見えませんよー?」と言われることもありませんでしたが、私の中には、どこか、ずっとひっかかっていました。 実際、赤っぽいのがアカウミガメ、と言われても、個体差もありますし、水族館などでは、照明などの展示環境によってデリケートな色はよく分かりません。大きさには劇的な違いは無さそうですし…。 以前私は、とある水族館で、長い時間水槽の前に佇み、あ!分った!尻尾が大きいかどうかだ!と、側にいた友人に誇らしく宣言したことがあります。 しかし、通りすがりの飼育員さんに、 |
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そんな私に、漸くチャンスが訪れました。先日下田海中水族館に行った時のことです。ここには素晴らしいウェルカムカメ水槽がありまして、アカウミガメとアオウミガメが仲良く混泳しています。柵もなく、覗き込めるので、じっくり観察できて、大変嬉しい環境です。しかも天然光!これはいい! ここのカメズは愛想良しで、大変フレンドリーです。口角は下がっていますが、ウミガメですから仕方がありません。しかも、平日の恩恵を賜り、とてもラッキーなことに、親切な飼育員さんに、私は色々お聞きすることができました。 |
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最初の質問は勿論、 「アオウミガメとアカウミガメって、どこが違うんですか?」 「あと、顔がずんぐりしているのがアカウミガメ。しゅっとしてるのが、アオウミガメ」 「甲羅の模様もちょっと違います」 「食性も少し違います。アカウミガメは、くらげとか海草とか、やや雑食より。アオウミガメは、藻だとか、海草とかが主で、草食よりです」 「もう大丈夫ですか?」 「良かった!」 飼育員さんの爽やかな笑顔に、思わず頷いたものの、正直自信はありませんでした。 …なるほどー。 |
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他にも、色んな話が聞けました。例えば、鰭の爪は、交尾の時、メスの甲羅をがっしり掴むためについているとか…。確かに「返し」がついていると、がしっと重なった時、中々外れませんもんね。…カメって結構無理やりなんですね…。 |
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平日とはいえ、結構長く時間を取らせてしまったので、きっと仕事の邪魔だったでしょうに、飼育員さんは嫌な顔ひとつせず対応してくださいました。本当にありがとうございました。 |
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現場に…と言えば、日本にラッコブームを起こした、元鳥羽水族館の館長中村元氏は、その経験譚など、何冊も著作があり、とてもためになるのですが、そのうちの一冊「水族館の不思議な生き物」(Soft Bank Creative)に、興味深いウミガメのことが書いてありました。 浦島太郎のカメは、アカウミガメなのだそうです。何故なら、本州に上陸して産卵するウミガメは、アカウミガメのメスのみで、他のカメは上陸しないのだそうです。となれば、上陸し、子どもにいじめられたウミガメは、アカウミガメのメス、ということになるとか。 なるほどー! これが、現場での観察と、知識ゆえの洞察ですね! |
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そういえば私は、民俗学で学位論文を書いていますので、この「カメの特定」に関し、民俗学的観点から、雑学の補足させていただきます。
島子(つまり、漁師、ということと理解していいと思います)が、海で漁をしている時、急に眠気を感じ、気がつくと五色の亀が現れます。(五色である時点で、伝承的には何ガメでもありません)その亀が、島子を「常世」という、異世界に連れていってしまうわけです。常世とは、沖縄で言うところの「ニライカナイ」と、とてもよく似ています。「天界」でもなければ、「黄泉」でもありません。云わば、「夢の国」です。そこは上空でも無く、地下でもありません。(私は、常世の位置を、地上もしくは水上と並行的な彼方、と仮定しています)つまり島子は空に昇ることも、おとぎ話に出てくる場面のように、海に潜る必要もないのです。 これが、江戸時代になると、分りやすく、かつ南方の説話とも混じり、海の底の「竜宮城」に変化していくのですね。 それで、いつ「乙姫様」が出てくるのかと言いますと、実は既に登場しておいでです。島子を強引に常世に連れて行く五色の亀こそが、お姫様なのです。分りますか?亀はお姫様のお使いではなく、亀こそが、お姫様なのです。これは、古代の典型的な異類婚姻譚と言えます。浦の島子は、苛められた亀を助けたお礼に竜宮城に連れて行ってもらうのではなく、亀姫に一方的に見初められ、常世に連れて行かれ、婚姻するのです。これは上代における、神と人間の婚姻の、典型的なパターンです。 こうした異類婚は、悲劇的な結末が必定です。このケースも島子と亀姫には永遠の別離が待っています。島子は櫛の箱を亀姫に持たされ、故郷に帰ります。玉櫛笥(たまくしげ)、といいます。これが変化して、「たまてばこ」となったのでしょう。後は、おとぎ話とあまり変わりません。ただ、問題は「開ける」という行為そのものが、禁を破る、という予定調和なので、(矛盾する言い回しですが)開けた時点で、もう終わりです。煙が出てくる必要も本来は無いのです。 悲しい哉、異類婚姻譚は必ず「別れ」で終わります。これは神と人間の婚姻が上手くいかない、ということだけでなく、他の種族、もっと言えば、他の村の住人と交わるな、という閉鎖的な考え方に基づく、教訓的な意味もあったのでしょう。 しかしながら、不思議なものですね。悲恋には美しさがあります。 「この世にて 逢うこと難くなりぬれば 後の世にてぞ あいみてし哉」 万葉集にも、古今にも省みられることのなかったシンプルな歌ですが、二度と逢えない二人が交わす心情は、千年以上の時を超え、今も昔も変わらぬ人の想いの切なさを訴えます。 つまり、浦島説話の亀は、五色の亀、つまり神様なので、元々は単なる海亀では無いんですね。 ただ、古代人にとっても、身近なアカウミガメがモデルだったというのは、無理の無い考え方ですね。 |
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さてさて、話が反れたついでに。 下田海中水族園の飼育員さんが、ウミガメの人口孵化の難しさを話してくださって、温度管理も大変ですし、自然がやっぱりいいですよ、と結んでいらっしゃいました。 自然のままがいい。その通りです。 ただし、その自然が今大変で、ウミガメというのは、水温が一定以上高くなると、メスしか生まれなくなる場合があるようです。地球温暖化は、水温の上昇から始まります。ウミガメは、身をもって、その警告をしていると言えるかもしれません。 また、海岸の別荘地の明かりに惑わされ、卵から孵ったウミガメが海の方向を誤まり、側溝に落ちて死んでしまったりすることが多いのだと嘆いていらっしゃいました。私は、光害防止キャンペーンの活動もしていますが、こっちの方も、地球温暖化と同根とも言えます。 ウミガメは風土記の時代から日本に居たのです。この美しい生き物が絶滅することの無いようにしたいものです。そういえば今年(2010)は生物多様年ですしね。 いかんいかん。ついうっかり真面目な話になってしまいました。 今では私、自慢じゃないですが、アオウミガメとアカウミガメの区別はバッチリ分るようになりました。むしろ、区別がつかない人の気持ちがもう分りません。(思い上がり) そんな勘違いの私に、先日、新たな刺客が。それは無邪気な友人の顔をして、私に近づいてきたのです。 |
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「ねえねえ。この水族館のパンフレットの亀、かっこいい」 「おう。それはアカウミガメだな」 (もちろん自信たっぷりに答えます) 「へえ。こっちは?」 「ここにもいるけど」 「これは?」 「…いいよ。別になんだって」 「あ、書いてあるよ。クロウミガメだって」 なんですとー!? その第三の刺客は、美しいウミガメでした。写真で見る限り、鰭のうろこの周りが黒っぽいかな、というくらいで、どこまでもアオウミガメにそっくりでした…。 もうダメだ…。 登りきったと思った階段は、100段中、ほんの2、3段目だったという、お釈迦様の手の平を駆ける孫悟空のような心情の私は、ウミガメ界の深淵さに打ちひしがれ、再びまたウミガメのことを覚えようと意識が高まるのは、きっとしばらくたってからでしょう。 生物多様年…。や、ほんと、多様だなあ…。 かのクロウミガメは、南知多ビーチランド、沖縄美ら海水族館、日和佐うみがめ博物館カレッタにいらっしゃるそうです。 そのうち行くから、待っててね。 |
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2010/5/11脱稿 |